「気付いた」を「気付きがあった」、「学んだ」を「学びがあった」とする語法についての様々な議論「主体の臭みを消して「客観的」風にする」

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ただまご = 永島孝 @tadamago

数学者.業績はクレイグ補間定理の精密化など.理学修士,数理論理学専攻.無職.数学の楽しさを伝えたい.小学校で上級生に暴行され股関節を傷め不登校に.後遺症あり.色覚異常.

researchmap.jp/mizunohotori/

ただまご = 永島孝 @tadamago

「気づいた」を「気づきがあった」と言い,「学んだ」を「学びがあった」と言う語法が教育界にあるそうだ.朝食のあとには「食べがあった」と言うのかな?

2021-11-29 09:13:12

主観と客観の違い?

だるまかるま @3zSiNjVaappQw7F

@tadamago 教育の話であれば、行為の主体が曖昧なのと同時に、具体的な結果について明言を避けているような印象ですね ・気づいた(から発見したものを共有できる) ・気づきがあった(けど説明できるかは分からない) ・学んだ(からできる) ・学びがあった(けど自分で使えたり、発展させたりできるかは知らない)

2021-11-30 11:22:08
飯塚裕之 @i_izuka

@tadamago 「気づき」や「学び」は名詞なので、あったりなかったりします。 「食べ」は名詞でないので、その後には助詞である「が」は接続しません。

2021-11-30 12:56:11
すずもと @aruto250

「気づきがあった」「学びがあった」という表現は、客観的でない意見は価値が低いとされる(意識高い系の)社会的傾向において、主体の臭みを消して文章を「客観的」風にすることで相手の心理的障壁をすり抜けて心に入り込もうとする表現かなと思う。「怒られがあった」なんかはその揶揄なわけで。 twitter.com/tadamago/statu…

2021-11-30 08:38:54
酒溺ブラバイさん(独立してやるbot @aka_bare_arai

これは単純に補助金構文。不景気ですぐに「具体的な成果は?」「短期的な費用対効果は?」などと聞いて評価をする外部の専門家()に対し、「学び」という過程を物質的な「成果」にすり替えて提示する過程でつくられた言葉。平成末期の悪しき風潮ブラ 「怒られがあった」とかは年代的にすこしズレるはず twitter.com/aruto250/statu…

2021-11-30 12:48:20
酒溺ブラバイさん(独立してやるbot @aka_bare_arai

教育って成果が曖昧な仕事に対して、成果を短期的に示す必要に迫られた時、真面目な人ほど「子供たちは〇〇を学んだ」なんて無責任に書けないはずで、そうすると多分「こういう学び(という行為)があった」というギリギリ客観的な書き方に逃げるしかないのでは?ブラ

2021-11-30 13:03:16
縞うさぎ/詫摩雅子 @shima_usa96

「私たちの職場でもよく聞くなぁ」から始まり、「気づいた」と「気づきがあった」では何が違うのだろうとしばし考える。「気づいた」は「○○に気づいた」のように気がついた内容に重みがあるのに対し、「気づきがあった」は気づいたというその体験に重みがあるような気がする。 twitter.com/tadamago/statu…

2021-11-29 23:53:07
Limg @LimgTW

@tadamago 「食べる」の名詞化が待たれる!

2021-11-29 09:19:27
Limg @LimgTW

@GreatDemon1701 @tadamago 既に然るべき漢語があるにも拘わらず、意味がふわふわした新語を和語から作り出してるのがポイントかと。 気付きがあった ~ 発見があった  学びがあった ~ 収獲があった  食べがあった ~ 食事があった

2021-11-30 08:07:56
@niseusa

@tadamago 学んだ→主観的 (子供が〇〇を学んだって、どこから判断したの?ってツッコミが入るのかも) 学びがあった→客観的 (子供の行動から見て取る) あとは、「学び」に内包されている意味合いが前段で解説されている時とかですかね。 自分も論文書きますが、あまり意識してなかったので勉強になります。

2021-11-29 23:40:16
kamei herbert @kamei_herbert

@tadamago 常にその語法を使うのは良くないですけれども、自分が気付くだろう、学ぶだろうとぼんやり前もって予測していたことを超越し、それを裏切るような視点を持てた場合には、良い言い方かと。目の前の唐揚げを凝視し、ひとかじりしたらあまりのうまさにもう無くなっていたら、「食べがあった」(笑)

2021-11-30 01:38:09
号泣とは大声で泣き叫ぶこと🇸🇬💉💉💉💉 @see_voices

@tadamago 私、先ほどまで寝があり、今しがた起きがあったところです。

2021-11-30 06:29:24
みや🌗 @lemp3

@tadamago そして怒られた時は当然、「怒られが発生した」ですね。

2021-11-30 10:12:51
山本貴嗣 @atsuji_yamamoto

教育界や自己啓発系のことは存じませんがインドの覚者などが、悟りへ向かい錯覚としての自我を手放していく過程でそれに似た表現をするのは書籍で見たことがあります。例:私は痛い→痛みがある(だが痛みを感じる私と言う主体は幻のようなものであるという視点)ただその場合徹底して「私」を(続く) twitter.com/tadamago/statu…

2021-11-30 20:24:19
山本貴嗣 @atsuji_yamamoto

続く)「私」を否定し去ることがポイントなので「意識高い私」などというくだらない意識も無論持っていてはダメですし誰かと比較したりすることもない。ただあえて今ある状況を言語化したらそういう表現になった、というようなものだったように思います。あまり参考にならない話かもしれず、すみません

2021-11-30 20:25:41
理科教師とらふずく @raptorial_owlet

マジレスクソリプですがこの場合は「朝食に対して真摯な姿勢を見せた」が模範解答です。 twitter.com/tadamago/statu…

2021-11-30 06:18:06
理科教師とらふずく @raptorial_owlet

「朝食に意欲的に取り組んだ」も可。

2021-11-30 06:18:50
理科教師とらふずく @raptorial_owlet

ちなみに私はこの語法好きではないので 「気付きがあった」→「理解することができた」 「学びがあった」→「知識の向上が見られた」 などと書いています。

2021-11-30 06:25:41

言い方の違い

Yoshifumi Murakami @Midogonpapa

日本語教師としてはこの二つの言い方の違いに興味がありますね。多分もう誰か研究してる人がいるんじゃないかな。しらんけど。 twitter.com/tadamago/statu…

2021-11-30 11:34:47
すくな(本人) @su__ku__

@Midogonpapa 「気づき」「学び」はもともとある言葉ですからねー。 あと、「(~という)ことに気づいた / ことを学んだ」の言い換えですよね。「ことを食べた」とは言わない。でもこれは万能ではなくて、例えば「ことを知った」を「知りがあった」とは言わない。「知り」単独で使うことはないので。

2021-11-30 19:51:21
Fumiko 🇳🇱もとオランダ大学教員、日蘭交換留学コンサル、蘭日協会理事、日本映画祭理事 @matatode

@Midogonpapa 漢語+する/ある/だ の方が和語より「専門性がありそう、高級に響く、知的に聞こえる」というのの延長じゃないでしょうかねえ? 戸惑う より 躊躇する、 考える より 考察する、検討する、確かにそう思う より 確信がある、といったような。 単なる思いつき/着想ですが。

2021-11-30 23:03:50