青織亜論氏のエンカレッジカルチャー論への一考察

青織亜論氏のエンカレッジカルチャー論は、なぜ冴えたやり方といえるのか。法学的な観点から考察を加えます。
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はるかかなた @isawmydevil

読了。感想は「さすが」と「前向き」である。少し法学的な方面から(大変恐縮だが)補足を申し上げたい。 わたしたちは表現の自由を支持している。その根拠はいくつかあるが、そのうち伝統的な法学上の見解は『表現の自由市場』というものだ。(1/) twitter.com/BlauerSeelowe/…

2021-12-05 17:54:30
はるかかなた @isawmydevil

簡単にいうと「社会で各個人が自由に意見表明を行い相互に競争し合うことによって真理に到達できるという考え方」であり、米国最高裁判決はこの法理を、「真理の最良のテストは、市場における競争の中で、自らを受け入れさせる力をその思想がもっているかどうかである」と解釈し、支持している。

2021-12-05 17:57:39
はるかかなた @isawmydevil

つまり表現の自由は本質的に競争的なものだ。それは互いに競争し、社会をより望ましい形に発展させることを期待されるがゆえに保障の根拠を持つ。 しかし競争的なものだからといって戦争的なものではない点に注目したい。(3/)

2021-12-05 18:01:38
はるかかなた @isawmydevil

スポーツでもゲームでもビジネスでもそうだが、健全な競争は一定のルールに従う場合にその質的発展を見る。そのルールとは、第一に“競争相手を不当に排除しない”ことである。従って敵の存在をキャンセルすることは、わたしたちが敬愛する表現の自由の精神に反することである。(4/)

2021-12-05 18:04:59
はるかかなた @isawmydevil

「思想の自由市場」という基本に立ち返れば有効な戦略、そして王道な戦略は明らかだ。それは“市場競争で生き残ること”である。表現が経済的に生き残ること、そのことが結果的にその表現の真理性を指し示す。(5/)

2021-12-05 18:08:13
はるかかなた @isawmydevil

従って「取るべきアクションは報復ではない。買い支えである」という青織氏の主張は何より王道だ。つまり正義の道である。その道を歩む者に誇りと自信、そして最終的な勝利を約束する。 王道は光り輝かんばかりに眩しい。敵の目を潰すだろう。氏の主張が広く共有されることを期待したい。(6/)

2021-12-05 18:11:32