表現の自由を規制することは正義たりえるのか?

公共の福祉のために表現を自由を規制する主張が散見されます。表現の自由を規制することは正しいことだと、“なぜ”説明することができるのでしょうか。マイケル・サンデルの「これからの正義の話をしよう」を参考に表現の自由規制と正義論の関係を考察します。
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はるかかなた @isawmydevil

つまり社会で限られた資源を正しく配分するためには、“正しい配分”を行う前にまず、その資源の目的を検討する必要があるということです。言い換えればその目的を達成する人に、それに相応しい報酬としてその資源が割り当てられるということであると言えます。(26/)

2021-12-11 10:30:12
はるかかなた @isawmydevil

こうした正しさの考え方を『アリストテレス的目的論』と呼びます。端的には「善は正に優先する」と表現されることがあります。 つまり何かが正しいということは、その目的を定めた上でないと(何が善いことかを定めた上でないと)、決めることはできないということです。(27/)

2021-12-11 11:42:26
はるかかなた @isawmydevil

フェミニズムは「自分たちは正しい」と言いますが、フェミニズムだから正しいということはありえません。そもそもフェミニズムには運動としての“目的”があったはずです。その目的を見失ってしまい、正しさばかりを棍棒のように振り回すことは正当性のある行為だと言えるのでしょうか?(28/)

2021-12-11 11:51:41
はるかかなた @isawmydevil

私たち表現の自由擁護派が主張するのは、クリエイターはクリエイターの努力に見合った報酬を受けてもいいのではないかということです。 何かを好きという気持ち、それを表現するために技術を磨くこと、作品を作る時間を捻出すること。こうした努力に相応しい報酬が準備された社会。(29/)

2021-12-11 12:15:08
はるかかなた @isawmydevil

必ずしも金銭的な報酬に限りません。自分が描いた絵で誰かが喜んでくれること、他の人の描いた絵を楽しむこと、誰かと一緒に絵を描くこと。そうした場がクリエイターから不当に奪われたとしたら、そのような社会は市民に報いを与えない、とても正しいとはいえない社会なのではないでしょうか。(30/)

2021-12-11 12:15:34
はるかかなた @isawmydevil

フェミニズムにとって、社会は一体何のためにあるのでしょうか。 昨日から長々と倫理について考察してきました。フェミニストが表現の自由を抑圧しようとする際の正しさとは何かということについて、いくらかでも論点整理が提供できていればと思っています。(了)

2021-12-11 12:19:32
はるかかなた @isawmydevil

なお主な文献はマイケル・サンデル著、『これからの正義の話をしよう』を参考としました。

2021-12-11 12:24:13