ポストクリティークと後期クイーン的問題

エクリヲvol.12を読んだ感想です
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@quantumspin

日本の批評が英米系のそれと違って研究との距離があるといわれているのも、国内批評家は真理の探求をアカデミズムに委ねているということではないのかな。批評の使命を真理の探求だけに求めてしまうと、特に国内批評においては、とても良質な部分が零れ落ちてしまう気がしてならないのですよ。

2022-01-06 21:29:10
@quantumspin

崇高たるべき批評が俗なる目的を持つのは、ポストトゥルースと同じ道具主義的な動機だからけしからん、みたいな話は、キリスト教もカルト教団も同じ宗教だからけしからん、と言ってるようなものではないかな。

2022-01-06 21:36:17
@quantumspin

ポスト・トゥルースが戦っているのは「科学的知識」であって、ポストクリティークではないんですよね。批評とポスト・トゥルースとは、「共感しやすさに重きを置く」点では同じですからね。「懐疑の解釈学」の刃を「科学的知識」に向けたのがポスト・トゥルースですから。

2022-01-08 16:35:47
@quantumspin

ポストクリティークでポスト・トゥルースに打ち勝ちたければ、より「共感に重きを置いた」言論でポスト・トゥルースを上書きしないといけないんじゃあないかな。しかしまあ、そこは科学の領域ですから、批評の出番ではないというか、批評でがんばるとポスト・トゥルースにしかなれないというか。。

2022-01-08 16:41:06
@quantumspin

だから散々理系との対立を煽りたがるひとが、ポスト・トゥルースに批判的なのが、理系にはよく分からないんですよね。いや、ポスト・トゥルースの騙りがつまらないと言うならわかるんです。間違っているからけしからん、と怒ってしまうのがよく分からないんです。

2022-01-08 16:52:02
@quantumspin

文系が既存の科学体系を科学の言葉の力で刷新し始めたら実に批評的なんですが、誰かやってくれないかな。

2022-01-09 07:46:32
@quantumspin

批評について、自分がいちばんしっくりきたのは、ポストクリティークがこだわる「真理の探究」や「情動論的転回」ではなく、ロベルト・ベルガンティの「意味のイノベーション」の概念なんだよな。ようするに批評とは、「(モノを使用する)新しい理由の発明行為」と言われるととてもわかりやすい。

2022-01-07 06:59:22
@quantumspin

ベルガンティの議論を再掲すると、それまでのイノベーションはユーザの不満を解消しようとしてきた。現状を否定し、問題点を発見し、これをアウフヘーベンするのがイノベーションであると、そう考えられてきた。これってポストクリティークの議論になぞらえると、どこか「懐疑の解釈学」とよく似ている

2022-01-07 07:02:16
@quantumspin

それに対してベルガンティは、今あるモノの問題点暴露するのではなく、モノを使う理由を問い、新たな理由付けをしようといった。これをイノベーションに繋げたのが、スマートフォンに代表される、問題駆動型ではない新たなイノベーションの形であると、ベルガンティは言っている。

2022-01-07 07:06:08
@quantumspin

これは、高度消費社会のビジネススタイルの転換とも繋がっている。これまで消費者の欲望を充足する方向にイノベーションは駆動してきた。しかしモノに溢れ、欲望で満たされた現代において、人は人生の困りごとではなく、むしろ人生の「意味」を求めるようになっているとベルガンティは言っている

2022-01-07 07:11:04
@quantumspin

これは批評界隈の言葉で言うと、ポストモダニズムの終焉と繋がるように思える。現状否定から意味のイノベーションへの転換は、苦悩の象徴である筈の後期クイーン的問題がネタとして消費される現状とも繋がっている。

2022-01-07 07:15:29
@quantumspin

だから個人的にポストクリティークの議論は、「懐疑の解釈学」から「意味のイノベーション」への転換として論じる路線がよいのではないかと思っている。大橋の議論はその方向性に辿りつきかけていたのだけれど、ポストトゥルースとの差異化のロジックでコケているように見えるのだよな。

2022-01-07 07:23:38
@quantumspin

批評はイノベーションと同じで、受容の温度差はあるだろう。笠井潔は「クズ批評」とか言っていたような気がするが(うろ覚え)、最終的にそうした批評の強度(淘汰原理)は、読者の共感の程度で決まって来るのだと思う。だから批評においても、ユーザエクスペリエンスの考えかたが大事なのだと思う。

2022-01-08 07:38:48
@quantumspin

ひたすらに内面の吐露というか、独白じみた批評が「懐疑の解釈学」といわれて批判されてしまうのは、たぶんそうした批判の「あて先」がどこにあるかがはっきりしていないからではなかろうか。誰とも共振しない批判が、淘汰原理によって潰えてしまうのは、当たり前というか、自然の摂理に近い。

2022-01-08 07:43:24
@quantumspin

批評が言論である以上、他者に影響を及ぼす。「真理の探求」という言い方は綺麗なんだけれど、言葉の「あて先」というか、テクストの向こうに在る他者というか、社会を「懐疑の解釈学」は消し去っているように見える。懐疑それ自体が問題なのではなく、そうした読解の意味が問われているのだと思う。

2022-01-08 07:53:03
@quantumspin

テクスト論が主流だった時代は、自閉的な内省行為と共感とは結びついていたんだと思う。だからひたすら内にこもって自己を突き詰めていれば、自動的に共感もついてきていた。でもSNSの登場で視界が他者に開かれた現代においては、作者を殺すのではなく、他者に開かれた感覚にこそ共振が生じている。

2022-01-09 07:58:51
@quantumspin

だから自分にはクリティークの限界というのが、テクスト論(作者の死)の限界であって、近年の実在論的転回というか、ケア倫理的転回というか、呼称はまあ諸説あろうが、諸々の時流に批評言語が乗り遅れて、耐用年数に達した話に見える。拙論くらいはこうした状況に一石を投じるものでありたいですかね。

2022-01-08 10:09:04
@quantumspin

ともあ、批評とはなにかが紛糾するように、ポストクリティークというか、批評批判の角度も人それぞれというのが、論者の愛憎が感じられて面白かったです。

2022-01-06 18:06:30
@quantumspin

「『正統とは何か』と後期クイーン的問題」をトゥギャりました。 togetter.com/li/1832605

2022-01-18 17:49:29