認識の意味について

刑法上の故意における認識の意味
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杉山博亮 @sugiyamahiroaki

1)「認識」という言葉の整理。構成要件的故意は、構成要件に該当する客観的事実を認識(し認容)すること。認容の要否は、認容説をとるか認識説をとるかによる。ここに「認識」とは、狭義の認識と予見を含む。狭義の認識は、現在(まで)の事実を知ること。予見は、将来の事実を知ること。

2011-09-03 14:06:35
杉山博亮 @sugiyamahiroaki

2)構成要件的故意は、実行行為、結果、因果関係などを検討し、その存在が肯定されてから、検討される。人は、考えてから行動する。主観が客観に先行する。ならば、この流れに沿って、構成要件的故意を先に検討し、認定することはできないか? これはできない。理論上できないのだ。

2011-09-03 14:06:48
杉山博亮 @sugiyamahiroaki

3)狭義の認識・予見は、いずれも「知る」ことを内容とする。「知る」には、正しく知るという意味が含まれている。正しくなければ、それは単なる「思い込み」にすぎない。これは、誤解、誤認、誤信、誤想などと呼ばれる。だから、まず事実が存在することが、認識・予見の認定に先行する。

2011-09-03 14:07:00
杉山博亮 @sugiyamahiroaki

4)予見は、行為者が思っていたとおりの事実が後に実現して、はじめて「予見」になる。それ以前は、単なる、予期、予想、予測にすぎない。これらは、外れても成立する言葉。これが的中して、はじめてこれらは「予見」や「予知」に昇格する。いずれも実現されることを前提とする言葉。

2011-09-03 14:07:14
杉山博亮 @sugiyamahiroaki

5)未遂罪の主観的構成要件要素は「既遂罪の構成要件的故意」と言われるが、正確な表現ではなく、一種の比喩だ。結果・因果関係の部分は、結局は存在しなかったのだから「予見」ではなく「予期」にすぎない。だから、せいぜい「既遂罪の構成要件的故意に相当する心理状態」とでも言うべきもの。

2011-09-03 14:07:26
杉山博亮 @sugiyamahiroaki

6)未遂罪の主観面は、実行行為の認識(=未遂罪の構成要件的故意)と、結果・因果関係の「予期」とからなる。それは、目的犯の構造に類似する。「目的」は、同じく主観的構成要件要素でも、構成要件的故意とは異なり、客観的事実の存在を前提としない。客観面を超過する内心の要素。

2011-09-03 14:07:42
杉山博亮 @sugiyamahiroaki

7)「結果」の予見は、「結果発生の可能性」の認識とも異なる。昨夜、AとBとのサッカーの試合があったとする。だれもが、Aが勝つ可能性も、Bが勝つ可能性も認識していた。結局、Bが勝った。「やっぱりね。そう思ったよ」と言いつつAに賭けていた者は、Bが勝つと予見していなかったのだ。了

2011-09-03 14:18:39