「車のタイヤは4つである」は論理的に間違っている
21)僕の区切り方で、5%例外無視ルールだと最狭義・狭義の場合は文章Aが真、広義・最広義の場合は文章Aが偽となるだろう。正確な証明にはそれぞれの台数を調べないといけないが、おおよそ上記の結論で合っていると思う。
2011-09-03 16:39:1022)もっと厳密に「全ての車のタイヤは4つである」という全称命題ルールだとどうなるか。三輪タクシーがあるかどうかによるが、あまり見ないので存在しないとしておこう。すると、最狭義の場合は文章Aが真、狭義・広義・最広義の場合は文章Aが偽となる。
2011-09-03 16:39:1823)僕は「ごくわずかな例外」というのを「5%以内の例外」と勝手に決めた。人によっては「0.1%以内でないとごくわずかと言えない」という人もいるだろうし、「10%くらいまでは無視してもいいんじゃないか」という人もいるだろう。
2011-09-03 16:39:2724)車の意味を狭義(三輪以上の自動車)と固定しても、三輪自動車普及率が四輪自動車の1%としたとき、「0.1%以内無視ルール」では文章Aは偽だし、「5%以内無視ルール」では文章Aは真だ。
2011-09-03 16:39:3425)まとめよう。文章Aは「車という用語の意味範囲はどれか」「何%以内の例外を無視するか」の2つを固定しないと真か偽かを結論づける事ができない。今回は車を例に挙げたが、他にも複数の意味範囲を持つ語はたくさんある。ツイッター上の議論ではその考察が抜けている事が多いと思う。
2011-09-03 16:39:4326)日本では三段論法などの演繹的考察を数学で学ぶ。 命題の証明に必要となるからだ。その学習成果を日常の問題に安易に適応しようとする人がツイッター上では目立つが、数学と日常言語は「言葉の意味範囲」の扱いについてかなり差がある。
2011-09-03 16:39:50参考リンク:Wikibooks「高等学校数学A 集合と論理」
http://goo.gl/wTYu
27) 数学は明確な「定義」というものがあるので、「この図形が正三角形であるかどうか」「無理数であるかどうか」「双子素数であるかどうか」は明確に決まる。ある人には正三角形に見えるのに、別の人には正三角形に見えない、という図形はない。
2011-09-03 16:40:0028)しかし、「オートバイは車かどうか」はその人の言語感覚や文脈によって変わってくるだろう。「日本人」という言葉も、日本民族の事なのか、日本に帰化した外国人も含むのかは文脈と人の言語感覚によるだろう。数学用語と違い、日常用語は境界線が曖昧だ。
2011-09-03 16:40:08参考リンク:Wikipedia「日本人」ページ内「概要」項目
http://goo.gl/hi9aI
29)Wikipedia「ディベート」項目には最広義~最狭義に分けて説明書きがある。 http://t.co/yfB4qca で「論理」には狭義と広義がある事が分かった。その他の言葉でも辞書に「一般的には〜」「狭義には〜」「広義には〜」と書いてあるものは複数の意味範囲がある。
2011-09-03 16:41:11参考リンク:Wikipedia「ディベート」
http://goo.gl/I0uoE
30)さらに、「尊敬できる」「卑怯である」「天才である」という人が何かに評価をくだすような言葉は人それぞれの主観が入って当然だ。 言葉そのものの意味は固定されていても、対象を指し示す集合「尊敬できるもの」「卑怯であるもの」の境界線は明確でない。
2011-09-03 16:41:1931)一つ前のツイート内容には様々な考え方があるようではある。Wikipedia「自然主義的誤謬」ページの「自然主義的誤謬をめぐるその後の議論」→「情緒主義」項目に【価値判断を間投詞などと類比的な単なる情緒の表現だと考える。】 とある。僕はこの説明がしっくりくる。
2011-09-03 16:41:28参考リンク:Wikipedia「自然主義的誤謬」ページ内「自然主義的誤謬をめぐるその後の議論」項目
http://goo.gl/haieJ
参考リンク:Wikipedia「メタ倫理学」ページ内「メタ倫理学における様々な立場」項目
http://goo.gl/cjhPc
32)おそらく僕は情緒主義者だったという事なのだろう。正直、その他の主義については説明が難しくて分からなかった。僕と違って「価値判断の境界線は明確であり演繹的に真偽が決定できる」と思う方がもしいれば、自分の考えが学術的に何と呼ばれているのか探してみてはいかがだろうか。
2011-09-03 16:41:3633)情緒主義者としての僕の結論はこうだ。 演繹的推論で真偽を決定するためには、命題に使われている言葉の意味範囲が明確に決まっていないといけない。数学用語は意味範囲が明確だが、多くの日常用語は意味範囲が曖昧。
2011-09-03 16:41:4334)よって、日常用語で書かれた命題は「前提が足りないので真偽は決まらない」または「一休ルールで真とも偽ともなりうる」という、数学では起こらない状況が起こってしまう事がある。そのため、「真である」「偽である」と2つに分かれて議論しても意味がない事がある。
2011-09-03 16:41:5135)曖昧な日常用語命題の真偽を考える上でみなさんにお勧めしたいのは、「結論の真偽が分かれる境界線はどこか?」を考える事だ。全称命題ルールだと文章Aは「車の意味範囲が『四輪車全体』より広ければ偽、狭ければ真」となる。この境界線が判れば、どんな意味範囲でも真偽がすぐに決められる。
2011-09-03 16:42:0036)また、言葉の意味範囲を曖昧にしたまま論理演算したい方のために、「ファジィ論理」という真と偽の中間値を扱える論理もあるらしいので、研究してみてはいかがだろうか。Wikipediaにも「ファジィ論理」ページがある。
2011-09-03 16:42:08参考リンク:Wikipedia「ファジィ論理」
http://goo.gl/tQo59
37)「情緒主義」にしろ「ファジイ論理」にしろ、我々素人がつまずく問題はほとんどすでに学術的に研究されているようだ。後は一般人である我々がそれらを理解してどうやって「便利に使うか」が重要だという事なのだろう。【終】
2011-09-03 16:42:15