山本勘助の日の本探訪!〜摂津、朝廷、洛中、洛外篇〜

山本勘助が日の本を巡る♪ 今回は朝廷より参内せよとのお達し。 果たしてその内容は……
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山本勘助道鬼齋 @yamakandoukisai

『正月は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし』 と詠んだ。 錫杖の先に髑髏を付け、市中を『御用心』とまわった事もある。 一つ言葉の指南を。 左様な事を仕出かすと破天荒と近頃は使われておるが、 破天荒とは、誰も為し得なかった事を成し遂げた事。 pic.twitter.com/eOyV1EoaNX

2021-12-10 08:34:51
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山本勘助道鬼齋 @yamakandoukisai

山城國田辺、『酬恩庵』 良き晩秋である。 紅葉とは静かな晩秋に慰めの様に咲く花の様である。 寂しさと穏やかさを刻を同じくして見せる。 冬は全てに閉ざされず、不毛に非ず。 冬に獲れる大根も有れば、冬に咲く花も有る。 寂しきは心、其の實は寂しからず。 #一休寺 #晩秋 #紅葉 #物悲しい pic.twitter.com/ywLyZk9tCn

2021-12-10 08:47:59
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山本勘助道鬼齋 @yamakandoukisai

此の寺には一休上人や蜷川親当(ちかまさ)、蓮如上人手植えの杉が有る。 今は枯れてしまい二代目と成っておるが。 蜷川親当は当時の幕府の役人であり、新右衛門と云うた方が馴染みのある者は多かろう。 連歌師でもあり其の折には智蘊(ちうん)と称する。 #新右衛門さん #一休さん #酬恩庵 #京都 pic.twitter.com/grBHcGCiV1

2021-12-10 14:44:46
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山本勘助道鬼齋 @yamakandoukisai

一休上人は晩年此処で何を思われたのであろう。 己の髭を植え付けた木像が残っておる。 裏へまわると珍しき建て方をしておるな。 一休上人は臨終の折、『死にとうない』と仰せられたとか。 齡八十八であったが、日日喜びが多く名残惜しかったのであろう…… 麻剌利亜(まらりあ)で亡くなられた。 pic.twitter.com/Qt58NEDjUn

2021-12-10 14:50:12
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山城國田辺、『酬恩庵』 破戒僧ではないと先刻申したが、取り消そうと思える話もある。 一休和尚が齡五十の頃、二十にもならぬ森女(しんにょ)と云う盲目の女と女犯を行う。 時には法事の脇の部屋にて交わい法事を嘲笑うかの様な行い。 森女は盲目故、一休が老人であるとも知らず互いに欲に溺れたとか pic.twitter.com/Oa5aFSFlT5

2021-12-10 14:57:30
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僧であり、俗人であり、生涯を樂しむも樂しみきれなかった様である。 他にも、蓮如上人の留守中に部屋にあがり、蓮如上人の念持佛の阿彌陀如来を枕に昼寝をする。 蓮如上人は、『儂の商売道具に何をする』と二人で大笑いしたとか。 #一休宗純 #蓮如 #浄土真宗 #臨済宗 #とんち #禅問答 pic.twitter.com/ogus8QjFyL

2021-12-10 15:02:00
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人柄を知るのに彼様な物もある。 経を書いた懐紙、 此れで尻を拭くのは罰当たりであろうか。 否、経を書いた紙が有難いのでは無く、経自体が有難い物。 紙はただの紙である。 何時の世にも通ずる物がありそうである。 #一休宗純 #とんち #禅問答 #お経 #酬恩庵 #一休寺 pic.twitter.com/em7COSen9I

2021-12-10 15:06:06
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山城國田辺、『酬恩庵』 一休和尚の頓知の話で有名な虎の絵である。 足利義満公に虎を捕らえてみよと云われ、では私が捕らえます故、将軍様は後ろより追い出してください、と返した事はあまりにも有名な話である。 だが、己一人でやれと云い遣わば、如何致したのであろうか…… #一休さん #とんち pic.twitter.com/mHRtnVGA6n

2021-12-10 17:35:24
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山本勘助道鬼齋 @yamakandoukisai

『このはし わたるべからず』 気にしないと橋の正中を渡った一休。 漢字で『此の橋 渡るべからず』とあれば如何致したのであろうかのか…… 漢字は読めぬでは通らぬぞ。 一休上人、如何に。 #一休さん #とんち #禅問答 #臨済宗 #酬恩庵 #京都 #一休寺 pic.twitter.com/kuF0AqSCGr

2021-12-10 17:38:36
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山城國田辺、『酬恩庵』 僧とは何であろう。 法とは何であろう。 佛とは何であろう。 生は誰にも一度のみ。 死もまた一度のみ。 我思うに、生ある時よりも、生なき時は遥かに長い。 生を受ける前、生が終わった後…… 刹那しかない生とは、何であろう…… #酬恩庵 #死生感 #mementomori #一休宗純 pic.twitter.com/FfRsDyh0q1

2021-12-10 18:42:31
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山本勘助道鬼齋 @yamakandoukisai

我等は気づかぬ。 何故生きるのか。 我等は気づかぬ。 無為に時が過ぎ行くのを。 我等は気づかぬ。 残された生が何時終わるのか。 明日死んだとして悔い無き様にとは云うものの、明日死ぬと思うて動く者はおらぬ。 何時か、年老い、体不満足となって気づいたとて、 最早時既に遅し… 我等は気づかぬ。 pic.twitter.com/QR9RgUiRJs

2021-12-10 18:49:58
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山本勘助道鬼齋 @yamakandoukisai

山城國田辺、『酬恩庵 六角義賢之墓』 六角承禎(佐々木承禎)の墓である。 織田を苦しめたが後に実質滅ぶ事となる。 だが戦乱の世とは云え、生き長らえる者は多く、 六角承禎も慶長三年まで生きておる。 #酬恩庵 #六角義賢 #六角承禎 #佐々木承禎 #墓 #一休寺 pic.twitter.com/AcdwkEjBaa

2021-12-10 19:01:58
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山本勘助道鬼齋 @yamakandoukisai

参内せよとの御達しが有り上洛した次第であるが、また京を発とうと思う。 次は東へ戻ろうか。 馬が潰れてしもうた故、徒歩にて東へ向かう。 道中幾日かかかるであろう、故に先刻まで周っておった四国でまだ話しておらぬ処の話をしながらでも東へ向かおうと思う。 pic.twitter.com/2uH7fKSruA

2021-12-11 01:38:06
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