小竜景光 来歴まとめ 新情報あり!~Twitter集合知がやってくれました
- sayonosuke
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藤岡屋日記には、江戸の商人が本阿弥家へ小竜景光を持ち込み、本阿弥家がその価値を見過ごしている間に、中村八太夫が80両で買った、と書いています。 大坂の刀屋が本阿弥家に折紙を出してもらえず、担いで帰るのを、中村八太夫が三島まで追いかけて買った(日本刀大百科事典)等の記述はない。
2022-01-29 21:07:38また、小竜景光が網屋から毛利家に渡ったが、網屋へ戻された、との話もない。 藤岡屋日記は江戸時代の情報屋のデータベースで、瓦版や噂話がソース。日本刀大百科事典は昭和の伝聞がソース。どちらも伝聞ベースですが、藤岡屋の方が時代が近い分、信用性は上ではなないか?と思います。
2022-01-29 21:11:02山田浅右衛門がいなければ、小竜景光は名刀とはならなかったかも、と思います。 孫の仕官に利用するためもあっただろうけど、浅右衛門は写しを作るほど小竜に惚れ込んで、系図をくっつけたりして来歴を盛り、井伊直亮に売り込んだ。井伊直亮は来歴は信じなくても小竜は欲しがった。
2021-11-27 21:45:41井伊直亮が、山田浅右衛門が述べる小竜の来歴を疑ったことは、福永先生は知っていましたが、おおっぴらには語っていません。 戦前は、楠木正成=皇室の忠臣=英雄!でしたから、皇室が所持する小竜景光が、楠木正成の所持「ではない」かもしれないということは、言いにくかったのかもしれません。
2021-11-27 21:50:22昨日、「腰物槍長刀類拵書帳」に小竜景光が載っているよ~とツイートで見かけて、んじゃ見てみるか~とめくってみてから、半日で調べたことなので、ざっくりした内容で申し訳ないです。 小竜景光のオタクの皆さんに届け~。
2021-11-27 21:55:32(なんで私が彦根の「腰物槍長刀類拵書帳」の資料なんかを持っていたかと言うと、山姥切国広が井伊家所蔵説は誤伝じゃないかと疑って、井伊家の蔵刀を調べたからです。結果、山姥切国広はどこのリストにも載っていなくて、誤伝だという疑いを強めたのでした。)
2021-11-27 21:58:21@sayonosuke 移動については小竜の本を書いた時には彦根の史料まで読んでいたはずなのに首切り浅右衛門刀剣押形の方を取ってしまって、直弼暗殺と共に山田家へになってしまっているのですがこの本ソースが全く不明なので今は彦根の方が信ぴょう性があるとは思っています。→
2021-11-27 21:55:43@sayonosuke 日本刀大百科事典においても引用元が首切り浅右衛門押形なので福永先生がどこから見つけてきたのは分かりません。 山田家が捏造は間接的には書いたのですが、そもそもの山田家の史料以前に楠木正成所持の景光が載っているものが無さげ(集古十集などになし)なこともあわせて捏造であると思います。
2021-11-27 21:58:18@372_usui ありがとうございます! 今回「刀剣話譚 小竜景光篇」も読み返したのですが、未夏雨翠さんが捏造の可能性は高いと思われていらっしゃるなら、私の考えも見当違いではなくて、ほっとしました。 山田浅右衛門が小竜景光にシンデレラの魔法をかけた魔法使いだったということですかね。
2021-11-27 22:03:46@sayonosuke 4年前から改訂してないので私が書いた本はなんかもう、って感じです…。 楠木正成所持に関しては山田が捏造し、戦前戦中の本で誇張して(明治天皇が気に入っていた点だけは間違っていないので)当時たくさん書かれたから広まり、最近の図録でようやく書き方が改められ始めている感じだと思います。
2021-11-27 22:10:31@sayonosuke とはいえ小竜景光の新しい図録は特別展への出陳が少ないせいか24年前の日本のかたなで止まっていて、現在は展示解説で少しずつ「伝えられた」と断定を避ける表現になっていっているところですかね。
2021-11-27 22:13:53@372_usui ありがとうございます!さすがです。 集古十種には、小竜景光らしき太刀は載っていない、ということでよろしいでしょうか。
2021-11-27 22:40:36@sayonosuke そうです。以前は農民が持っていたというには、在野のもの集めた、しかも山田家に渡るわずか50年前に書かれた史料にも未記載なのはどうなのか、と。 集古十種自体には楠木正成所持の短刀は複数出てきますが景光はおろか、刀や太刀自体が正成由来の物が出てきません。
2021-11-27 22:48:26「集古十種」に小竜景光が載っていないので、河内の農家にあったというのは疑わしい、というのは福永酔剣氏も述べています(「首斬り浅右衛門刀剣押形 下」82頁)。
小竜景光の発見のわずか数十年前に、河内地方で「集古十種」の調査があったのに、収録されていない→当時「楠木正成の佩刀」とされる太刀は河内の農家になかったのだろう、と。
@sayonosuke 正成由来がなくとも景光の刀剣としても十二分に価値があるはずですが載っていないので山田より前を山田家と彦根藩以外の史料から辿るすべがないんですよね。その前に当たる中村八太夫が本を出しているのでたどりたいのですが、鍔の方ばかり出てきて刀の方も存在するはずが見る機会に出会えていません。
2021-11-27 23:07:11小竜景光の号はいつからあったか?
@372_usui あと、未夏雨翠にうかがいたかったのですが、小竜景光の号は、いつ頃から呼ばれていたかおわかりになるでしょうか? 今回見た幕末の資料には号で呼ばれた形跡がなかったので、気になって。
2021-11-27 22:11:51@372_usui ツリーを見返したら、「未夏雨翠さん」と書くべきところ、「さん」を落として呼び捨てになってしまっているところがありました。 文章を推敲しているうちに、うっかりしてしまったようです。 大変申し訳ありませんでした。
2021-11-28 14:48:49小竜(龍)の号については 弘化3年(1846)3月下旬の『藤岡屋日記』の記事が1番古いと現段階では思います。 小竜が井伊家に渡った時期や経緯などおかしな点はありますので、あくまでご参考までに。 「近世庶民生活史料藤岡屋日記 第三巻」p27
2021-11-28 12:55:57こちらのブログサイトさまが「近世庶民生活史料 藤岡屋日記」を分かりやすく書かれているのでお借りいたします! syun0214.at.webry.info/202005/article…
2021-11-28 13:03:46※コメントで、原文にあたっていない、とのご指摘がありましたが、「藤岡屋日記」は、雛代さんも私(さよのすけ)も翻刻をあたっています。
わかりにくかったようなので、文献情報とともに補足しておきます。
鈴木棠三編「近世庶民生活史料 藤岡屋日記 第三巻」(三一書房)27頁
小竜景光のの史料の新情報です! ・楠木正成所持説は、山田浅右衛門入手前からあったらしい→山田浅右衛門は盛りはしたけれど、作り出したわけではない(すみません) ・小龍の名は1840年代からあった ・移転の経緯も詳しめに出ている やったー、いい感じに情報が出てきましたね〜。集合知強い! twitter.com/hinayo_04/stat…
2021-11-28 15:36:04