小竜景光 来歴まとめ 新情報あり!~Twitter集合知がやってくれました

楠木正成の太刀ともいわれる、小竜景光。 ミュージカル刀剣乱舞にも登場が決まった小竜景光の来歴の実体に、最新の資料検索を駆使して、考察ガチ勢の審神者(刀剣乱舞プレイヤー)達が迫ったTwitterまとめです。 小竜景光好きな方、刀剣好きな方、審神者の皆さまのご参考になれば幸いです。
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というわけで、有志の調査をまとめると、以下のとおり。

【カタそうな小竜景光の来歴】

天保ころ
本阿弥家に小竜景光が持ち込まれ、代官・中村八太夫が買い取る。(藤岡屋日記、日本刀大百科事典など)。

1843年3月2日
中村八太夫、死去。(日本装剣金工の研究)
その後、小竜景光が売りに出される。(藤岡屋日記、日本刀大百科事典など)。

1846年3月10日
山田浅右衛門吉貞、網屋から小竜景光を買う。
(刀剣押形)

1846年?
山田浅右衛門吉貞、井伊直亮に小竜景光を見せる。

太刀に関係ない楠木正成公の子孫だという者の系図を借り用い、楠木正成の差料である、また、鞘に五三の桐の紋があるので、豊臣秀吉より拝領したと説明をするが、系図に不審な点があり、井伊直亮は信用せず。
井伊家で山田浅右衛門の孫を召し抱える礼として、小竜景光が井伊直亮に献上される。(腰物槍長刀類拵書帳)

1846年3月下旬
山田浅右衛門が、楠木正成所持の小龍の太刀を井伊家に献上して永代三十人扶持と450両を下された、との噂が江戸に流れる。(藤岡屋日記)
(この頃には献上の話は決まっていたと思われる)
(「藤岡屋日記」は、「小龍」の名、楠木正成所持説を記載した最古の文書か)

1847年7月13日
三輪徳蔵(山田浅右衛門吉貞の孫=養子の二男。当時6歳)の井伊家への召し抱えが秋に決まる。
(刀剣美術759号、彦根城博物館だより118号、侍中由緒帳、刀剣押形)

1851年4月15日
井伊直弼、三輪徳蔵(10歳)に暇を出す。小竜景光は、三輪徳蔵とともに、山田浅右衛門家に戻る。(刀剣美術759号、彦根城博物館だより118号)

(1859年10月27日
安政の大獄により、吉田松陰が斬首される。執行人は山田浅右衛門吉利。)

(1860年3月3日
桜田門外の変。井伊直弼、暗殺される。)

1873年3月
山田浅右衛門吉利(和水)、東京府知事・大久保一を通じて、小竜景光を皇室に献上。
(公文録)

「日本刀大百科事典」をソースにしているネットに流れている情報とは、重なる部分もありますが、ズレる部分もかなりあります。
掘れば楽しい刀剣調査沼。発見される新事実には心躍ります。
調査をされた審神者の皆さま、お疲れさまでした!
ご覧くださった皆様の参考になれば幸いです!

さよのすけ @sayonosuke

小竜景光、回想で井伊家にいたときのことを話していますが、小竜が井伊家→山田浅右衛門家に返却された日時を史料で特定できました。1851年4月15日です。 一般に言われている、「井伊直弼の死亡後に返却された」というのは、誤伝です。実際には井伊直弼が藩主になった翌年の返却です。 pic.twitter.com/52mBuuMbHp

2022-06-23 17:49:14
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