“ベクトルの出発点が自分であるミソジニー”【ペン吉さんによる、田中美津著『いのちの女たちへ』感想】“女は、女の中に、おまんこさらして生かされてる己れの惨めさを視る”

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ペン吉 @ou2put

今、70年代ウーマンリブを盛り立てたひとりである田中美津の「いのちの女たちへ」という本を読んでいるんだけど、なんかとてもすごい。

2015-03-27 14:42:13
ペン吉 @ou2put

私にはフェミニズムに向かい合う中でいくつか目標があるんだけど、そのひとつは3つのミソジニーを解体することだ。(社会から私へ向けられるミソジニー、私が他の女に向けるミソジニー、私が自分自身へむけるミソジニーの3つ)その中で今一番くるしいのが、私から他の女や自分に向かうミソジニーだ。

2015-03-27 15:09:02
ペン吉 @ou2put

フェミニズムをめぐる言論で一番俎上にあがるのはやはり、社会から女へ向かうミソジニーについてなので(語るべきことが多すぎる上に日々増えていくからなんだけど)、「ベクトルの出発点が私」であるミソジニーは、自分の中のじめじめとした暗がりに沈んで正体がとらえられずにいる。

2015-03-27 15:29:03
ペン吉 @ou2put

まだ数ページしか読んでないけど、「いのちの女たちへ」には、「ベクトルの出発点が自分」であるミソジニーについて話し言葉に近いラフな言葉でめちゃくちゃ赤裸々に語られて、読んでて「これだ」という思い、静かに興奮してくる。

2015-03-27 15:29:37
ペン吉 @ou2put

パンチラインがありすぎて書き出せない

2015-03-27 20:44:11
ペン吉 @ou2put

田中美津著『いのちの女たちへ』読み終わった。面白かった。私がフェミニズムにすがっている部分から少し放り出されたような感じもし、心もとない気持ちになった。

2015-04-01 18:50:39
ペン吉 @ou2put

そのことを慎重に書きたいんだけど、いま頭がぼーっとしてるのでまた今度書こう

2015-04-01 19:10:48
ペン吉 @ou2put

「ベクトルの出発点が自分」のミソジニーについて。

2015-04-01 19:37:27
ペン吉 @ou2put

田中美津は、リブを運動化して間もない頃、好きな男が部屋に入ってくるのを察してあぐらから正座に変えてしまった自分を以下のように掘り下げている。

2015-04-01 21:17:11
ペン吉 @ou2put

"その時、もし、意識的にあぐらか、正座かを己れに問えば、あぐらのままでいいと答えるあたしがいたと思う。しかしそれは本音ではない。その時のあたしの本音とは、あぐらを正座に変えてしまった、そのとり乱しの中にある。"

2015-04-01 21:33:26
ペン吉 @ou2put

”…女の場合、その無意識を形づくっている核心に、女は女らしくがある。つまり、<女は女らしく>という論理は、本来たてまえであるにも関わらず、そのたてまえは女の中に深く血肉化されていて<無意識>という意識を形づくるまでになっているのだ。"

2015-04-01 21:33:44
ペン吉 @ou2put

そうなんだよ、「女は女らしく」、「選ばれる女たるよう男に媚びるべし」という鳥肌モノのたてまえは、花はきれい、人を殺してはいけないレベルで私の無意識に血肉化されている。だから苦しい、簡単に逃れられない。

2015-04-01 21:41:30
ペン吉 @ou2put

下記も赤裸裸に鋭い。 "人間、とかく他人サマのアラはよく見えるもので、特に女同士は、男に向けて振る尻尾の、その振り方をお互いに競い合ってきた仲だけに、相手の中の<女らしさ願望>が見え見えで、あぁはなりたくない己れで、あの二の舞をやれる己れだからこそ、反目し合ってきた訳だ。"

2015-04-01 22:31:51
ペン吉 @ou2put

"女が自分を映すのに、他の女位よく映る鏡はない。女が、女からともすれば顔をそむけがちなのは、そこに己れがあまりにもむきだしに映し出されているからなのだ。 女は、女の中に、おまんこさらして生かされてる己れの惨めさを視るからこそ、男のもとに逃げていこうとするのだ。”--P291

2015-04-01 22:33:29
ペン吉 @ou2put

女が媚びている様子を見たくないし、自分が媚びている様子を見られたくない。女のいない空間にある意味で安心するのは、自分を映す鏡がないからなのかも。男のいない空間に安心するのも、女同士ならではの信頼感も大きいが、男に媚びる姿を見もせず見られもせず済むのもある。

2015-04-01 22:42:18
ペン吉 @ou2put

私から女へむかうミソジニーを眺めてみるに、「媚びる女」への同族嫌悪、「選ばれる女」への嫉妬があるなと感じる。女から女へのミソジニーと嫉妬ってどのくらい重なっているんだろう。

2015-04-01 23:01:56
ペン吉 @ou2put

テレビで女性タレントがおっさん連中に媚びる姿を見てる時のあの耐え難い気持ちは、嫉妬じゃないもんな。鼻の下のばしてるおっさんもキモいし、媚びるタレントもキモいって思ってしまう。媚とヤニ下がりの相互関係がやばいんだよな。一方だけだと当人がキモいだけなのに、両方だと空間がキモくなる

2015-04-01 23:14:50
ペン吉 @ou2put

キモいを連呼してすみません。あともちろん、処世術として媚びざるを得ないというのも十分すぎるほど分かった上で「気の毒」と「キモい」がふたつそろうのが私の本音なんである。

2015-04-01 23:19:24
ペン吉 @ou2put

男に全く媚びないけれどもモテるという女がいるかもしれないけど、その人へ抱く暗い思いは単なる嫉妬であってミソジニーではないのでは?やっぱり、嫉妬とミソジニーは別物かも。

2015-04-01 23:29:17
ペン吉 @ou2put

男に否応なく搾取される/搾取されずには生きていけない抑圧の歴史を女の中に見る時に抱く暗い思いこそがミソジニーかも

2015-04-01 23:30:20
ペン吉 @ou2put

媚びる女が憎いのも、性犯罪被害者にミソジニーを抱く女がいるのも。女が生きた個人的な人生と、おばあちゃんのそのまたおばあちゃんのって連綿と重ねられてきた被抑圧の歴史にズーンと呼応してるからなのかも。悲しい。抑圧とかなくなって、世界中のミソジニーはやく成仏してくれ

2015-04-01 23:45:15
ペン吉 @ou2put

無意識に女らしさを体現してしまう私と、女らしさを否定する私の両方そろって本音で、そこをスタートにとり乱しながらやっていくのがウーマンリブと田中美津はいうけども、ウーマンリブにとって媚とはどんな対象なのだろうか。克服すべき内なる敵?受容すべきあるがままの自分?その両方?

2015-04-01 23:54:53
ペン吉 @ou2put

私の中では女らしさと媚びは違っていて、口紅やスカートや優しい笑顔などの「女らしさ」は時に私を励まし勇気づけるものだけれども、媚は私を疎外し、力を削るもの、人間関係を硬直させるもの。私にとって媚は克服したい対象だ。

2015-04-02 00:01:54
ペン吉 @ou2put

(そも女らしさとは人間誰しもがもちうる特徴に時代が勝手につけた名前であって実態はないし、女らしいと区分された特徴を全否定する方が不条理だしね)

2015-04-02 00:02:57