結局のところ、何を書くか、何を書かないか、この二点に集約されるきわめて単純な作業なのだが、何年やっても絶妙なバランスが見つからない
すべてがよくなくて納得がいかず何もかもが間違っているように思えるときがたまにある。今日までやってきたことをぜんぶ否定したくなる。他人のことは知らないが私は上達とは坂道をのぼるのではなく階段を上がるようなものだと思っている。一段上る際にはいろいろ捨てて身を軽くしなければならない。
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lucifer_af
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すべてがよくなくて納得がいかず何もかもが間違っているように思えるときがたまにある。今日までやってきたことをぜんぶ否定したくなる。他人のことは知らないが私は上達とは坂道をのぼるのではなく階段を上がるようなものだと思っている。一段上る際にはいろいろ捨てて身を軽くしなければならない。
2011-09-09 10:32:12![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
何かまずいと思っている原稿を読みかえすとまず付け加えたくなる。それであれこれ手を入れる。多くの場合蛇足である。だがこの時点では気づかない。やはりまだまずいと思う。読みかえすと削りたくなる。あちこち削る。それでもよくないと思い書きなおすことにする。これを何度も繰りかえす。
2011-09-09 10:35:18![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
結局のところ、何を書くか、何を書かないか、この二点に集約されるきわめて単純な作業なのだが、何年やっても絶妙なバランスが見つからない。しかも私は堪え性がなくあれこれ手を出すのでものによって書き方を変えねばならないという強迫観念に取り憑かれていて絶えず揺れ動く。
2011-09-09 10:38:29![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
たとえば薔薇のマリアは明らかに書きすぎなのだが、ずっと書くことに重点を置いてきた小説なので今さら書かないようにしていいのかという点でいつも悩んでいる。最近は書かないことに重きを置くことが多い。本当は書かないことで書くよりも伝わるのが理想だがこれは読み手に要求するものが大きすぎる。
2011-09-09 10:42:27![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
だが書いていないことまで読み手に伝えるというよりも考えさせてしまう書き手がそう多くはないかもしれないが世の中にはいる。その「状況」はどのように作られるのか。様々な要因があり一概には言えないが多く読まれることによってその「状況」はできやすいように思う。
2011-09-09 10:45:56