橋本陽介『物語論 基礎と応用』読書メモ

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かんた @0sak1_m1d0r1

花束全体は、一つ一つの花からできあがっているが、その構成要素である花を一つ一つすべて記述しただけでは花束全体を記述したことにはならない。花束全体は、花一つ一つを見た場合とは印象が異なるからである。物語の形態を分析するには、

2022-03-21 11:48:20
かんた @0sak1_m1d0r1

各部分を分析しつつ、しかも全体を考えなければならない。 (橋本陽介『物語論 基礎と応用』24)

2022-03-21 11:48:54
かんた @0sak1_m1d0r1

ちなみに、「物語論」は同じ漢字圏の中国では「叙述学」、もしくは「叙事学」と訳されている。こちらは何かの出来事を語ることに重点をおいた訳語だが、「物語論」より妥当な訳かもしれない。 (橋本陽介『物語論 基礎と応用』)

2022-03-21 12:27:45
かんた @0sak1_m1d0r1

「物語現在」が現在となっている場合、一回きりの動作や状態の変化が時間にそって漸進的展開される。漸進的にとは、一コマ一コマ進んでいくということであり、要約的・説明的ではない。また、日本語の場合には非過去形の使用が可能になる。 (橋本陽介『物語論 基礎と応用』62) モヤモヤが晴れた。

2022-03-23 23:59:38
かんた @0sak1_m1d0r1

語り手は物語世界を目の前に置き、物語現在を現在として語っている。ただし、実況中継とは違う。実況は目の前に起こることを同時に報告するため、それ以外は操作できないが、物語の語り手は要約したり、詳細に語ったり、時間をとばしたりするなど、自由に行うことができる。 (橋本陽介『物語論』66)

2022-03-24 00:29:08
かんた @0sak1_m1d0r1

中国でも二十世紀になって『シャーロック・ホームズ』が入って来てから視点を制限するという方式が使われるようになったと言われている。 (橋本陽介『物語論』91) ホームズ影響大だな…

2022-03-24 13:34:22
かんた @0sak1_m1d0r1

よくよく考えてみると、「一人称物語」と「三人称物語」という分類には不自然な点がある。「一人称物語」とは、「語り手」が一人称であるのに対して、「三人称物語」の「三人称」で指示される人物は物語の登場人物であり、語り手ではない。 (橋本陽介『物語論 基礎と応用』107)

2022-03-24 14:03:27
かんた @0sak1_m1d0r1

ジュネットによると、どんな物語も潜在的には「聞き手」を設定している「一人称物語」らしい。問題は物語内部に一人称の語り手が”登場人物として”存在するか否か。

2022-03-24 14:06:32
かんた @0sak1_m1d0r1

やっぱり外国語を多少わかっていたほうが「話法」などの物語論を理解しやすいということはあるな。

2022-03-24 14:11:00
かんた @0sak1_m1d0r1

同様に、電話等で「(私は)今からそこに行くね」という時、日本語では一人称主語を基本的に言わない。これは単に、わかりきったことだから省略しているというわけではない。「私」からみて「私」は見えないので、言語化されないのである。 (橋本陽介『物語論 基礎と応用』116)

2022-03-25 22:07:02
かんた @0sak1_m1d0r1

換言すれば、語り手は完全に人物に同化するわけではない。人物のすぐ「背後」といってもいい位置に移動し、代弁するように語る。私はこういう例をオーバーラップした語りと呼んでいる。 (橋本陽介『物語論 基礎と応用』118) 「オーバーラップした語り」!レポートで引用したいな。

2022-03-25 22:23:14
かんた @0sak1_m1d0r1

ところで興味深いことに、ロシア語には「小説」に直接あたる言葉がない。短編小説、中編小説、長編小説でそれぞれ単語が異なるのである。 (橋本陽介『物語論 基礎と応用』252)

2022-04-04 20:32:37
かんた @0sak1_m1d0r1

橋本陽介『物語論 基礎と応用』読了。 認知言語学の視点から、「日本語は状況の内部に視点をおきやすい言語」であることを指摘し、英訳との比較を通じて日本語小説の語り手の位置を分析していく第四章がとても興味深かったし、勉強になった。自分でも認知言語学勉強して文学研究に活かしていきたい。 pic.twitter.com/9IXgifvjy4

2022-04-04 20:40:10
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