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まずこの動画をどうぞ。
先行まとめ。
1・イギリスのブラム・ストーカーの小説『ドラキュラ』(1897年)は、当初戯曲として執筆されました。公開されていないオリジナルは、当時の名優ヘンリー・アーヴィング(自身で劇団を持っており、ブラム・ストーカーはその秘書だったのです)を意識して書かれたもので、
2022-04-18 20:10:012・このふたりの関係はBL的にオイシイものがあるんですけど、まあそれはともかく。シェイクスピアを中心にした古典劇ですでに有名だったアーヴィングは、その草稿を見て大激怒。こんな通俗劇なんかやれるか、おまけにこれ、どう考えてもおれがモデルやん、ってことで喧嘩別れ。というのは嘘です。
2022-04-18 20:10:263・小規模ながら実演して、ペンギン・ブックスの表紙画像に使われてた。それをブラム・ストーカーはコツコツ小説に仕上げたところベストセラーになりました。舞台化がヒットするのは、死後(その前に一応、ドイツ映画の無許可の映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922年)があります)12年後の1924年。
2022-04-18 20:11:594・ベラ・ルゴシのユニバーサル映画で有名になるのは1931年です。で、この物語の演出が、映画ではなく演劇に向いていたのは、吸血鬼のでっかいマントと変身のしかたにありました。当初舞台劇としてドラキュラが高笑いをして正体をあらわし、悪役として消えるときの演出は、なんと「霧」。
2022-04-18 20:12:365・つまんないという以前に、当時の技術としてはうまくいかなかったみたいなのね。今ならCG使えるんだけど。次に、ネズミにしてみたら観客は大笑い(これも伝聞です)。で、最終的にこういうふうになったのね。つまり、客席に向かって大きなマントを広げ、ドラキュラ伯爵が背を向ける→
2022-04-18 20:13:056・マントを立てたまま、役者は奈落(舞台の中央に開いた穴みたいなもの)に消える→舞台の他の役者(ヴァン・ヘルシング教授ほか)および観客が唖然と見ていると、マントがストン、と落ち、ドラキュラ役の役者はいない→舞台の袖から、棒につけたコウモリを、はたはたはたー、って舞わせる。
2022-04-18 20:13:337・ねえ、実に舞台向きの演出だと思いませんか。それ以来、基本的にドラキュラはコウモリと関連づけて語られる(物語として作られる)ようになったのです。ちなみに、シャーロック・ホームズの曲がったパイプも、まっすぐなパイプだとどうも舞台映えしないから、ということで、あの形になったとか。
2022-04-18 20:14:10