九鬼周造『「いき」の構造』読書メモ

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かんた @0sak1_m1d0r1

或る民族の特殊の存在様態が核心的なものとして意味および言語の形で自己を開示しているのに、他の民族は同様の経験を核心的のものとして有せざるがために、その意味および言語を明らかに欠く場合がある。 (九鬼周造『「いき」の構造』16)

2022-04-19 21:39:27
かんた @0sak1_m1d0r1

文化存在の理解の要諦は、事実としての具体性を害うことなくありのままの生ける形態において把握することである。ベルクソンは、薔薇の匂いを嗅いで過去を回想する場合に、

2022-04-19 21:59:01
かんた @0sak1_m1d0r1

薔薇の匂いが与えられてそれによって過去のことが連想されるのではない。過去の回想を薔薇の匂いのうちに嗅ぐのであるといっている。 (九鬼周造『「いき」の構造』24)

2022-04-19 21:59:47
かんた @0sak1_m1d0r1

媚態は欲望をその背後にもちながら、まさに可能性を可能性として維持する点で欲望から区別されると言うことができる。もちろん欲望をその背後にもつかぎり、媚態は、一元化への圧力から自由ではない。言い換えれば、媚態はつねに執着となる可能性をはらんでいる。 (九鬼周造『「いき」の構造』57注)

2022-04-21 16:58:44
かんた @0sak1_m1d0r1

さて、「渋味」という言葉はおそらく柿の味から来ているのであろう。しかるに柿は「渋味」の外になお「甘味」をももっている。渋柿に対しては甘柿がある。それ故、「渋味」の対立者としては「甘味」を考えても差支ないと信ずる。 (九鬼周造『「いき」の構造』61) なんか面白い文章やな。

2022-04-21 17:40:07
かんた @0sak1_m1d0r1

派手とは葉が外に出るのである。「葉出」の義である。地味とは根が地を味わうのである。「地の味」の義である。前者は自己から出て他にいく存在様態、後者は自己の素質のうちに沈む存在様態である。 (九鬼周造『「いき」の構造』66) そうなの!?

2022-04-21 17:46:18
かんた @0sak1_m1d0r1

「いき」は異性への方向をほのかに暗示するものである。姿勢の相称性が打破せらるる場合に、中央の垂直線が、曲線への推移において、非現実的理想主義を自覚することが、「いき」の表現としては重要なことである。 (九鬼周造『「いき」の構造』89) この辺すごい面白いな〜。

2022-04-23 19:16:34
かんた @0sak1_m1d0r1

「いき」な姿としては湯上り姿もある。裸体を回想として近接の過去にもち、あっさりした浴衣を無造作に着ているところに、媚態とその形相因とが表現を完うしている。 (九鬼周造『「いき」の構造』92) これもめっちゃ面白いとおもう。

2022-04-23 19:19:52
かんた @0sak1_m1d0r1

幾何学的図形としては、平行線ほど二元性をよく表しているものはない。永遠に動きつつ永遠に交わらざる平行線は、二元性の最も純粋なる視覚的客観化である。模様として縞が「いき」と看做されるのは決して偶然ではない。 (九鬼周造『「いき」の構造』110) ほんとかよ、と思うけどこういうの好きだな

2022-04-23 20:55:34
かんた @0sak1_m1d0r1

意味体験を概念的自覚に導くところに知的存在者の全意義が懸っている。 (九鬼周造『「いき」の構造』150)

2022-04-23 21:43:03