- Kagamikimihiko
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The Avalanches │Since I Left You
The Avalanches 『Since I Left You』のビデオって、あれ炭鉱事故で相棒を失った人の話なんだよね。踊っていた相棒は結局見つからずに、踊れなかった彼だけが救出される。http://t.co/s5Szq4c
2011-09-13 23:39:45そしてビデオの最後で“取り残された”彼はこんな風に言う→『3日後に助け出された後、私は二度とアーサー(踊ってた人)を見ることはなかった。でもね、私は彼がどこへ行ったとしても、彼は最高の時間を過ごしていると思っているよ。』
2011-09-13 23:43:18しかしサンプリングだけでつくったアルバムに“Since I Left You”ってタイトルをつけるのは、ほんと凄い感覚だと思う。
2011-09-13 23:52:35俺が村上隆とかカオス・ラウンジをそこまで面白いと思わない理由の大半を“The Avalanchesを知っているから”の一言で説明できるくらいには重要な一枚だと思うわけですよ>Since I Left You。 あれ聴いた後だと恥ずかしくて“スーパーフラット”とか絶対言えないもん。
2011-09-13 23:58:19Avalanches絡みで俺が一番好きなのは、当時“手法としてのサンプリングはやり尽くした”と考えていた小山田圭吾が、リミックスのためにSince I Left Youを解体したところ、組み合わされたサンプル音源が見事“和音”を形成していることに気づいて驚愕したって話。
2011-09-14 00:04:19スーパーフラットだの並列化だのなんてのをアーティストを名乗る人間が口にするのは、それはもう自身の想像力が著しく欠如していることの告白にしかならんところまでサンプリングカルチャーは進んでるってのを、現代アート大好きな人たちもいい加減気づくべきだよなーとかなんとか。
2011-09-14 00:10:14これは俺の偏見なのかもしれないけど、現代アート文脈における“並列化”みたいな言葉って、“素材を粗雑に扱うこと”のエクスキューズとしてしか機能していないような気がずっとしてるんだよね。なんでだろうな。
2011-09-14 00:18:49スーパーフラットとサンプリング。
戦争とか、全体主義みたいなでっかい力の前に、個人という存在がかきけされ、世界がフラットになってしまった。みたいな実感は一方で実存主義を生んだし、河原温の作品はその個人レベルの実践みたいなかんじする
2011-09-14 00:46:48あるいは、戦争に買ってお金も儲かって、大量消費社会まっしぐらのアメリカでは、モノの価値が徹底的にフラット化されて、結果、ポップアートを生んだ(厳密にはポップアートはイギリス生まれだけど、アメリカ的な消費社会をモデルにしてる)わけですよね… こっちのが村上隆のフラットに近いわけだ
2011-09-14 00:53:12でもそこで一捻り会って、そうしたフラット化の影響を受けつつも、消化しきれなかった変な文化が日本にあった、というのがスーパーフラットの主な主張だと理解している
2011-09-14 00:55:24スーパーフラット
村上隆の作品群を解読するキーワード。
この数年来、現代美術家の村上隆が積極的に提言している、平板で余白が多く、奥行きに欠け遠近法的な知覚を拒むなど、伝統的な日本画とアニメーションのセル画とに共通して見られる造形上の特徴を抽出した概念。
現代美術の文脈に、日本特有のオタク文化の美意識を導入するために用いられることが大半だが、かつてL・スタインバーグが提唱した「フラットベッド」との親近性を指摘する声もある。
村上の一貫した感覚と強い戦略性は、美少女フィギュアなどの立体的な造形作品をもスーパーフラットと称していることからも窺われるし、また最近では、哲学者の東浩紀がHTML言語のデータベースをこの概念で説明したり、現代建築のある種の傾向がスーパーフラットの比喩で語られたりするなど、現代美術の枠を超え、広く現代の文化全般に関わる概念として参照されることも多くなった。
本来全く異質なはずの美術とオタクを安直に組み合わせた俗流理論との批判も少なくないが、村上が日本を代表するアーティストとしての地位を不動のものとしたのに並行して、スーパーフラットの影響力もさらに拡大しつつあり、今後も活発な議論が期待される。
はてなキーワードより転載。