合理的配慮(調整)とコミュニケーション能力
@rhetorico コミュニケーションの能力が高い人が容易に合理的配慮(合理的調整)を受けやすいということはありますが、コミュニケーション能力が必要だという話ではないですよね。コミュニケーションが苦手な人が調整を受けられないということがあってはいけないので、そのための仕組みが求められているはず。
2022-04-28 06:14:14@rhetorico コミュニケーションが苦手な人が合理的調整を要求できるように支援するのも合理的調整だと思うのです。 「基本をセルフアドボカシーに置く」と言いたい気持ちもあるのですが、その言葉がセルフアドボカシーに困難がある人を排除する危険もあるのではないかと。 (続く
2022-04-29 21:49:29@rhetorico 続き)同時にどんなに重い障害がある人にも意思があるということを前提に、セルフアドボカシーを可能にする支援、セルフアドボカシーにどう近づけるかという視点での支援が求められます 時として表出された言葉と本人の意思がズレていることもあり、そこにどう気づいていくかという視点も必要…
2022-04-29 21:55:16@duruta 障害者権利条約などから読み解ける制度設計の思想としてセルフアドボカシーがありますよね。それがすべてだと私も考えていません。そして支援者側がセルフアドボカシーを支える、という視点が大事だと思います。
2022-04-29 22:00:15@duruta それは別に支援者側が「読み解く」のを否定していませんし、私は最初から支援者にもコミュ力が要ると書いています。その「コミュニケーション能力」はかなり卓越したものが必要なのかもしれませんね。
2022-04-29 22:02:00@duruta だいたい「コミュ力」みたいなのを気楽に言いがちですけど、neurodiversityとか、障害者の経験の多様性などを考えると、異文化コミュニケーションもいいところなので、そういう方向のコミュニケーション能力が必要なんだろうなと思います。共感に頼るより理性に頼るもの。
2022-04-29 22:08:56@rhetorico 合理的調整の過程での建設的対話に関して、出来得る限り当事者本人の声で行えるような仕組みは必要だと思います。当事者が建設的対話から必要な調整を獲得するための、あくまで当事者中心のサポートの仕組み。場合によっては流通している価値観をアンラーンしていくことも必要かも(続く
2022-04-30 06:56:32@rhetorico 続き)行政の障害者差別解消窓口で合理的調整を受けることが出来ていないと感じる人のための気軽な相談が出来るような相談体制の充実が求められます。また、そこから先のサポートにつなぐ能力も。そのために当事者団体が行政にからめとられない形でタイアップ出来ればいいのだろうな、と思うのでした。
2022-04-30 07:12:26