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スコーレムの批判は、還元公理は、非可述的な規定を認めるものだが、そのことの証明はなく、PMからはその証明は出せない、というもののよう。
2011-05-28 17:19:31還元公理に対する直接の反例は見ないが、一方では、別の理論体系では不要な前提であるという批判(ヒルベルトなど)、他方では、導入された公理が自明でも妥当でもないこと、直観的に正しいとも思えないことで、拒否されたりしている。哲学的理由で否定されてもいる模様(ヴィトゲンシュタイン)。
2011-05-28 17:39:47還元公理の意義:クラスに関してオーダーの区別を消去してくれること、言い換えれば、クラスに関しては外延性が成り立つことが保証される。つまり、クラスに関してはタイプの区別だけが問題であり、オーダーの区別を無視した非述語的定義が可能。
2011-05-28 17:47:11@shinjike 還元公理が必要になるのは、意味論的パラドクスを生じさせないためではなく、実数論などの展開のため、というのがスタンダードな説明だと思いますが…。
2011-05-28 17:51:15クワインの言う"self-effacing"というのは、そういう皮肉だったんだろう。要するに、還元公理は、理論の都合のために導入されたアドホックな前提であり、その正当化もできなければ、また、その自明性や妥当性もなければ、ましてや、直観ないし洞察を書く公理であり、そして必要もない。
2011-05-28 17:52:09タイプに加えて、オーダーの区別を命題関数に導入すると、非可述的定義を含む実数論、したがって解析を十分に展開できない。良く挙げられるのは、最小上界あるいは最大下界の定義。
2011-05-28 18:03:41Goedel や Kleene が批判するように、基礎のたしかでない公理によって、PMが建設されてしまうことは、第二版での、定義とは構成であるというconstructivisticな態度に基づく論理主義そのものに抵触してしまっている、という自己論駁になっているということだろう。
2011-05-28 18:10:59分岐タイプ理論を十全に展開するためには、実数論したがって解析に現れる非可述的定義も、きちんと扱える必要がある。それを可能にするために、任意の命題関数に対し、それと外延を等しくする論理的に同値な可述的関数が存在するという還元公理が要請される。だが、その公理は自明でなくアドホックと。
2011-05-28 18:17:18@shinjike そうですね。悪循環を含みうる非可述的定義の全面禁止によって確実性を担保するはずの分岐タイプ理論に、「それでは実際の数学が展開できないから」といって非可術的定義を一部可能にする還元公理を入れたら、結局確実性を担保するものなどないと言っているに等しい。
2011-05-28 18:34:26@shinjike しかし、パラドクスを生じさせる病的な述語の排除という点では、「非可述的に定義された述語」を排除するという大鉈を、「どう考えてもオーダーの階層に位置づけられない述語」を排除するという小鉈に置き換えただけとも言える。@Zahlangabeheft
2011-05-28 18:41:58@shinjike そう考えると、ラッセルにとって、確実性を担保するよりも、病的な述語をうまく排除できる方が大事だったのだとすれば、還元公理を入れることは彼にとってそれほど馬鹿げた話ではなかったという気がする。@Zahlangabeheft
2011-05-28 18:44:08@shinjike ただ他の多くの人にとっては、病的な述語を排除するためだけなら、ツェルメロ集合論のようなもっとエレガントな枠組みが魅力的だった。意味論的パラドクスを解決するのは分岐タイプ理論だけだったが、「それは別の問題」という考えが大勢を占めた。@Zahlangabeheft
2011-05-28 18:47:28@Zahlangabeheft なるほど。非可述的定義でも、パラドクスを生じる悪性なものと、良性なものとがあり、前者は全体集合が無限の場合であるという分析が、ポアンカレらによってなされていたと記憶します。そこら辺の議論と、ラッセル自身の議論とがどう噛み合うのかは、興味深いですね。
2011-05-28 18:48:33@shinjike ええ、というかラッセルが悪循環原理を採用したのは、まさにポワンカレの影響だと思います。そして逆に、ポワンカレが非可術的定義の批判を始めた契機を与えたのは、ラッセルの論文だったりします。めちゃめちゃかみ合ってます。
2011-05-28 18:51:32@Zahlangabeheft ああ、まさにそこら辺のお話を書いていたんです。ラッセルはポアンカレの非可述性の議論にもとづく批判は認めますが、他方で、直観主義は受け入れず、論理主義を押し通すべく、タイプ理論の改訂へと向かうんですよね。ポアンカレの批判が転機というのが私の理解です。
2011-05-28 18:56:30