山本勘助の日の本探訪!〜信濃諏訪、駒ヶ根、霧ヶ峰、北佐久郡篇〜

軍師山本勘助が日の本をぶらり。 甲斐を北西に抜け諏訪湖へ。 かつて建てた城に思いを馳せる…… 霊犬も現れ、この世にはまだまだ不可思議がいっぱい!
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山本勘助道鬼齋 @yamakandoukisai

昔もこうして歩いた気がする。 寒いが、日が心地良い。 #小諸城 #小諸市 #武田信玄 #山本勘助 #城 pic.twitter.com/L2ccQ5sHvV

2022-03-14 13:46:46
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山本勘助道鬼齋 @yamakandoukisai

信濃國佐久郡、『小諸城』🏯 徳川秀忠公の憩石。 慶長五年の青野ヶ原の戦いの折、中山道を進み遅れをとっていた内府殿の後継となっておって秀忠殿は、此処よりやや西に在る眞田の籠る上田城を攻めんと此処に陣を置いたと云う。 背後からの攻めを恐れたのか眞田を攻めたが攻めきれなかった。 #小諸城 pic.twitter.com/3EIqMvtao5

2022-03-14 16:59:43
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山本勘助道鬼齋 @yamakandoukisai

汽車と云う様だ。 黒鉄でできた大籠の様である。 何人掛かりで運ぶのであろうか…… #小諸城 #懐古園 #蒸気機関車 #C56 pic.twitter.com/y1uCMuvMaA

2022-03-14 17:03:22
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信濃國佐久郡、『小諸城』🏯 春と冬が混在する様な景色である。 木は櫓など無かった程に根を張り高く聳える。 石垣も何処か土の匂いがする様である。 朽ちたと云うよりは土に還るかの様である。 #小諸城 #古城 #小諸市 #山本勘助 #武田信玄 #城 pic.twitter.com/ewAAXVS5Sq

2022-03-15 15:21:40
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山本勘助道鬼齋 @yamakandoukisai

城内に在る『懐古神社』⛩️ 此処には儂が愛用しておった石が在る。 つるりとし鏡の様であり、身嗜みを整えたり、古傷を眺めたりなどしておった。 持ち歩ける事ができれば良いのだが。 #小諸城 #懐古神社 #鏡石 #山本勘助 #鏡 pic.twitter.com/K8RbXcGRZ2

2022-03-15 15:28:39
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信濃國佐久郡、『小諸城』🏯 大人しう見える城やも知れぬが、淺間山に因る深い谷を空堀とし、西も千曲川の段丘を要害とし、要塞と致した。 堀の向こうには今は馬屋等が在り、馬の他にも様様なものを飼うておるそうだ。 #小諸城 #浅間山 #山本勘助 #城 #小諸市動物園 pic.twitter.com/vSHQd0uJ9F

2022-03-15 21:21:09
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欅である。 儂が居た頃にはまだ小さな木であったのであるが…… 随分と大きくなったものである。 石垣の周りの木までもが高く伸びておる。 本来であれば抜いてしまわねばならぬのであるが、泰平の世ともなれば此の儘で良かろう。 良き地であった。 痛みも悲しみも漸く忘れ癒えた、左様な地であった。 pic.twitter.com/wm0Uv6aH26

2022-03-15 21:26:46
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信濃國佐久郡下平尾、某高臺。 何やら扉が在る。 聞くところに拠ると、銅羅衛門なる機巧の靑狸が立て置いたと云う。 此の扉を潜ると望む処、何処であろうと出向けるとか。 扉を開けると眩き光が…… #どこでもドア #ドラえもん #みはらしの湯 #佐久平ハイウェイオアシス pic.twitter.com/aepT4xqWuG

2022-03-16 15:16:57
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信濃國小諸、天狗温泉『淺間山荘』♨️ 淺間山への登り口に在る旅籠である。 山へ登る者が多く訪れると云う。 昭和四十七年にあった淺間山荘の變事とは別である。 此の脇より前掛山へと向かう事ができるが、此度は此処まで。 #浅間山 #天狗温泉 #小諸市 #温泉 pic.twitter.com/oOQlu3pedy

2022-03-16 19:05:45
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湯は橙を搾ったかの様な色をしており、仄かに湯が弾けるのを感ずる。 此処まで諸國を歩いて来たが、彼様に火を噴く山に在る出湯は白き硫黄の湯が多いが、此処は珍しい。 そして熱き湯が多いが、此処は冷たく湧き、火で沸かしておる。 #天狗温泉 #浅間山 #浅間山荘 #単純鉄泉 pic.twitter.com/rD7ikuGOKR

2022-03-16 19:11:59
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登る者は此処より前掛山へと向かう。 何時か此処より進む事が、あるのであろうか…… pic.twitter.com/JuKY8BMbvp

2022-03-16 19:24:31
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信濃國北佐久郡、『淺間山』 火を噴く山を『あさま』と云うた。 今では皆『火山』と云うておる様だが。 富士山に淺間神社が在るのも其の事に因る。 幾度と火を噴いては其の度に近くの村等を滅ぼした。 天正十年には織田が我が武田領へと侵攻し、丁度淺間山が火を噴き士気は大いに下がってしもうた…… pic.twitter.com/SmwcwzoGDV

2022-03-17 15:11:08
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信濃國北佐久郡軽井澤。 淺間山を東より廻り北側へと向かう。 此処は國境でもあり、北は上野國となる。 何時また火を噴くやも知れぬ故、裾野に村はできぬままである。 #浅間山 #軽井沢 #嬬恋村 #火山 pic.twitter.com/jYQkEu5Zb2

2022-03-18 13:47:03
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山本勘助道鬼齋 @yamakandoukisai

淺間山の丑寅へと来た。 より近く大きく在り、畏怖さえ感ずる。 天明三年には大いに火を噴き、山は崩れ、此の丑寅の方角へと流れてきた。 #浅間山 #天明の大噴火 #1783年 #山体崩壊 pic.twitter.com/nXjXGfuhJm

2022-03-18 13:54:02
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上野國吾妻郡、『鬼押出苑』 天明三年に火を噴き、其の轟は遙か京や安芸國まで聞こえたとも云う。 舞う灰は遠く武蔵、常陸までも届き、後に天明の大飢饉を引き起こす。 流れ出た岩や熔けた岩は御覧の如くであり、老いた母を背負うた女が高臺へ向こうたが間に合わず埋もれたりもしておる。 #浅間山 pic.twitter.com/paPAvFRIk5

2022-03-18 21:03:31
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松や光る苔等が生えておる。 如何に荒れ果てて未来永劫何も此処では生きられぬであろうと成っても、また命は強く生まれ、根付く。 #鬼押出し園 #浅間山 #溶岩 #火山灰 #火成岩 pic.twitter.com/mfeWfJauEC

2022-03-18 21:08:36
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淺間山の頂には千瓲岩と云われる巨岩が在る。 草木も生えぬ頂にぽつりと在る巨岩は麓からも見て分かる。 北は廣く見渡せる程に何も無い。 創らなんだか、創れなんだが…… また何時火を噴くやも知れぬからな…… 有った事は後世に伝え、役立ててもらえればと切に願う。 #浅間山 #温故知新 pic.twitter.com/tnvGSztTyR

2022-03-18 21:17:57
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信濃國北佐久郡軽井澤、『軽井澤ゆにおん教会』⛪ 伴天連共の寺である。 信長公等には、おるがんちの、やら、ばりにやの、やら珍妙な名の伴天連が訪れておった様だが、御館様は篤く佛を敬っておった故、伴天連を受け入れる事は無かった。 #軽井沢ユニオンチャーチ #軽井沢 #教会 pic.twitter.com/5mAOTaisMw

2022-03-19 11:32:59
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『軽井澤しょう記念禮拝堂』⛪ ゆにおん教会より二年前の明治廿八年にできた伴天連の寺である。 軽井澤で最も古い伴天連の寺となる。 明治十八年に軽井澤を訪れた加奈陀人のしょうが故郷に似ておると大層気に入り、開拓していった。 #軽井沢ショー記念礼拝堂 #アレキサンダー・クロフト・ショー pic.twitter.com/vEBrswHZCv

2022-03-19 11:59:04
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信濃國北佐久郡軽井澤、『軽井澤たりあせん』 徳川の世に在った鷲穴用水より水を引き造られた塩沢海の畔には昭和六年に建てられた『睡鳩荘』が在り、宮崎駿なる者が描いた『思い出のまあにい』に出た屋敷とされる。 たりあせんとは『輝く額』の意。 #思い出のマーニー #ジブリ #軽井沢タリアセン pic.twitter.com/bxVNQwPwgY

2022-03-19 20:29:38
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信濃國北佐久郡軽井澤。 軽井澤はしょうにより開拓され民が多く住む様にも成ったが、皆質素に暮らしておる。 亥の刻前には店は閉まってしまう。 開拓される前は田畑が僅かにある鄙びた村であったが、幾十幾百年毎に火を噴く淺間山があり発展は難しかった。 だが離山が在り此の地は守られておる。 pic.twitter.com/aydrdlpda8

2022-03-20 03:42:36
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御館様に於いては終ぞ伴天連を認める事は無かったが、儂は興を引かれる。 認める認めぬは、其の対象をよう知ってから決めたいと思うてしまう。 誰もが認めぬとも、己の目で耳で知りたい。 荒れ果てた地と、伴天連の安息の地、軽井澤。 伴天連がおらねば鄙びた山奥の村であったであろう。#軽井沢 pic.twitter.com/4F2x0eU5ru

2022-03-20 03:47:51
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