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y2k000 @y2k000
まずハンタハンタの蟻編は、幽遊白書後半以降と、レベルE(の特に女王アリ編、だっけ?)から連続している冨樫センセの一大テーマを扱ったものであった、ということである。
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そこにおけるテーマというのは、「人間」と敵対する異種とが、一個の世界に並んだときに、果たしてただ一つの世界をどのように切り分けるのか? 分けないのか? という問題である。
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幽遊白書では、「元から区別された世界が、右往左往の末、徐々に溶け合っていく」ということになったし、どちらかというと、異種族同士の様々ないさかいと大小それぞれの融和に描写の重きを置いていた(「妖怪」にフォーカスした以上、やむをえないのだけど)
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レベルEにいたっては、「隔たりのある宇宙のどっかからやってきた異種の女王が(己の作為のもと)人間世界に歩み寄るが、実は彼女は(種の本能に従い)人間世界を最終的には乗っ取ってしまおうとしている(が、外部の作為により実は失敗している)という複雑骨折のようなねじれが見られる。
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で、蟻編。まー、結局どういうことかというと、この世界は(大多数のごく普通の)人間のものである、という結論に至ってるわけだ(現状では、といっておこう)。幽遊白書で異種の融和をメインにして、レベルEでは割と俯瞰的な立ち位置。ハンタハンタでは人間中心に眺めてみせている。
y2k000 @y2k000
それ故に、今回の話が、最終的には異種と人間の問題ではなく、「人間」の問題に帰結するのはある程度、当然のことではあるのである。
y2k000 @y2k000
通して眺めると、なかなかバランス良く処理している、といえなくもない。特に、今回のハンタハンタでは、劇中出てくる二人の「王様」を通して、「人間」を通して、世界の切り分け方についてを描いて見せている。
y2k000 @y2k000
世界とは、森羅万象一切合切を指す言葉であるが、同時にたかだが「人間」云十年やって得られる知識を指して、世界、ということもできる。(さらにその知識を拡散/継承/変化して云々かんぬんというのは別のテーマであるので、今回はさておく)
y2k000 @y2k000
つまり、無限に近い在り方を示す「世界」とそれに連動する「王(権)」(王権故に生じる世界観の限定≒(中世的)社会の規定についてもさておく、ここでいうのは極めてラジカルな観念的「王」のこと)故に、「おしまい」を含有する個人としての「人間」の二つの世界観が同時に並んだのが、蟻編であり、
y2k000 @y2k000
詰まる所、有限の「おしまい」がある人間の話になった蟻編とは、(うがってメタ的に見れば)、駆け足に見える最終盤を経た今や(冨樫センセが飽きたのか、もう十分と思ったのか、と感じるのと同時に)、てんでバラバラの性悪も性善もいる、それぞれの「人間」の命の使い切り方の話だった、といえるのだ
y2k000 @y2k000
じゃあ、ハンタハンタの蟻編終盤の上手さってなんだったんだろうねって話をしよう。だってさー、みんな「冨樫の話は上手い、上手い。ストーリィテリングの天才。ネームの神」とか持ち上げるけど、何が上手いのか、って話。
y2k000 @y2k000
えっと、今まで語った「人間」の問題をベースに、終盤に絡んだ話に絞ると、まずネテロと彼を通した人間社会がまずあるわけです。ネテロつー、戦闘能力ではぶっちぎりの実力者が、電話一本で権力者の言うことを聞かないといけない。協会会長という立場が彼をオトナにしてしまっているわけです。
y2k000 @y2k000
で、そんな彼とケンカしてる王。ある種の無邪気さ、幼さゆえに対手である遙かなる年長者であるネテロに賞賛を送る。ここに構図がある。才能あるジジイともっと才能あるクソガキの構図。繰り広げられるのは、世界最高峰のバトル。
y2k000 @y2k000
それをざくっと見開きで処理するのも上手い。描きようがないものを描かない潔さもいっそよろしく、それぞれの背中に乗っているもにも、また構図がある。ネテロという種の存続の問題(世界)がかかってるのに対して、王がかけているのは自らの名前(人間であること)。この縦横なレイアウト。
y2k000 @y2k000
で、ネテロ=世界の守護者が、手詰まりになった(即ち、世界が人間=個人に敗北する)瞬間、ネテロ=オトナが取り出したるは、なにもかもをご破算にする爆弾ですよ。その結果、「王」は一度死ぬ。
y2k000 @y2k000
そこから「王」の再生に至るまでは、これは多分、冨樫センセのパーソナルな一面に関わる部分だと思っていて、だから王が再生する過程にはあんまり興味ないんだよね。あくまでも、王が異種として見事な王になった、というのが重要。
y2k000 @y2k000
この瞬間、世界を屈服させた個人がパブリックエネミーNO.1として、限りなく(無限に近い)世界と連動して、世界精神となる。そして、面白いのは、この世界精神は正邪の極めてアンバランスな状態にある、ということだ。容易にいずれにも傾きうる危うさは、
y2k000 @y2k000
「人間」そのもののメタファであり、それはネテロと王が相対する外的な構図が、「王」個人という内的な構図に読者の予想もしないうちに移り変わっている。この妙味。個人の問題に切り込んでいながら、タルまずに、むしろ王そのものが世界精神であるために内的/外的の区別なくヒリついた展開ゆえに、
y2k000 @y2k000
そういう意味では(皮肉なことだけど)、実は蟻編後半とは、ハンタハンタが休載しているときこそが、一番面白かった、といえる。
y2k000 @y2k000
つまり、冨樫センセが休載している時も含めて、正邪の定かではない浮遊している状態こそがすでに面白い、というまさに狂気としか言いようがない魅力こそが「冨樫は上手い」の源泉である、といえよう。
y2k000 @y2k000
それは劇中のコンテキストから切断されたた設定解釈、引用された他典の単語理解に比べて、どれほど物語についてピュアであるか、ということなのだけど。言ってしまえば、この面白さは、膨大な引用で成り立つエヴァでは達成できなかったことであるわけだ。

まとめてから

y2k000 @y2k000
ここからまだまだ蟻編については語りたいんだけど、結局ミニマムな幻想へと回帰していく辺り、例えば先行作品としてはやはり参照元になってるドラゴンボール終盤とか、まったく逆に、でかいことブチあげすぎて、収拾つかなくなったバスタードとか。歴代のジャンプ作品とか引き合いに出しつつ駄弁りてー
y2k000 @y2k000
例えば、王様が生まれてまだ何日の赤ん坊よ、とか。その中で絶対の象徴であることについて。そして、原爆のイメージってAKIRAじゃん。とか。その中で、天皇的な象徴性と世界の暫定キングである米国大統領っぽい責任性が、一個の生後何日かの本来、無謬の人格に与えられてる妙味とか。
y2k000 @y2k000
そもそも蟻編というのは、世界の何もかもがとりかえしのつかないことになることを(結果的に)食い止めたが、代わりにミニマムな(個人の)レベルで、様々なとりかえしがつかないことになってるわけで、それがかえって世界の崩壊と同義に扱われている時代性とか。
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コメント

言葉使い @tennteke 2013年4月30日
おぉぅ“世界の何もかもがとりかえしのつかないことになることを(結果的に)食い止めたが、代わりにミニマムな(個人の)レベルで、様々なとりかえしがつかないことになってる”
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