パニッシャー(@punisher_D)さんのまどマギ試論-主にまどほむについて、バトロワとかエヴァとか成熟とかウテナとか-
今のところ自分用。内容はタイトルのような感じで。
……と、コメントにもありますが、議論追加込みのご本人様によるまとめが出ました。
「ゼロ想」風に語る まどか☆マギカ論 ~まどマギは、2010年代の新しい想像力足り得たか?~ (http://togetter.com/li/191051)
こちらをご参照いただくほうが適切かもしれません。
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![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
しかし少女革命ウテナという作品について、ここで今更詳しく解説しようとは思わない。 もっとも注目すべきは、その最終回である。
2011-09-19 00:37:13![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
自分以外がまどかの存在を忘れてしまった世界で、暁美ほむらは鹿目まどかと再び出会うために戦い続ける=生き続ける道を選んだ。 自分(正確にはもう一人)以外がウテナの存在を忘れてしまった世界で、姫宮アンシーは天上ウテナと再び出会うためにウテナを探す旅に出た。
2011-09-19 00:37:24![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
さて、僕がなぜ今更になって「まどか☆マギカ」という作品を論じてみようと思ったのかといえば、そこに「2010年代の新しい想像力」を見い出したかったからである。
2011-09-19 00:37:54![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
しかし、果たして「まどか☆マギカ」は「少女革命ウテナ」の先を行っているだろうか? これはどちらの作品の方が優れているとか、面白いかといった問題ではない。 その良し悪しは別にして、「まどか☆マギカ」は時代を表現し得た作品だったか? という問題だ。
2011-09-19 00:38:11![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
残念ながら、僕にはその可能性を見い出すことは出来なかった。至ったのは「まどか☆マギカは、少女革命ウテナを超えてはいない」という、些か寂しい結論である。
2011-09-19 00:38:25![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
ここまで長々と語っておきながら、至った結論としては非常に情けない限りだが、しかし一つの結論を得られたという点では満足している。 まどか☆マギカは「2010年代を代表する作品」ではあっても、「象徴する作品」には成り得ていないのだ。
2011-09-19 00:38:39![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
この先の10年で、まどか☆マギカの先の地平を見せてくれる想像力に期待しつつ、この長かった自説・まどか☆マギカ論を、ひとまず終了させたいと思う。 付き合ってくれた方がどれだけいたかどうかは分からないが、どうもお騒がせさまでした。
2011-09-19 00:39:00