社会システム論と可能世界意味論に関する思いつき

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蒼龍 @deepbluedragon

お試しでつぶやきを連投してみます。あくまでインスパアされての私個人の思いつきの見解なので、内容が正しいかどうかにこだわらずにお気楽に読んでください

2010-04-16 03:21:01
蒼龍 @deepbluedragon

http://bit.ly/daBT7u(PDF)論文「社会システム論と「規範=法」→ちょっと古い論文ですが、にもかかわらず(だからこそかえって?)ルーマンの法社会学のシンプルで分かりやい紹介になっている。これを読むとルーマンを可能世界意味論で理解することに見込みがあるかも

2010-04-16 03:22:18
蒼龍 @deepbluedragon

ルーマンの機能構造主義の考え方は、可能世界意味論における本質(もの様相)を自由に設定できる部分と、心の哲学における機能主義のように物理的素材を度外視して機能(関数)だけに注目する部分とが似ている。これらはどれも1960年代に生じた考えなので、その点では同じ時代の子かもしれない

2010-04-16 03:22:48
蒼龍 @deepbluedragon

世界を物理的用語で描き出すこと(物理的世界)はできるが、それでは情報があまりに詳細すぎて人間の手に余る。だから、物理的世界に行為語や心理語を重ね合わせて(スーパーヴィーンさせて)そのままでは極度に複雑な世界を理解できる世界へと縮減していくことになる。これが負担免除説

2010-04-16 03:23:05
蒼龍 @deepbluedragon

他人の行動(物理的レベル)を理解できる行為(社会的レベル)へと意味論によって翻訳させるのだが、そのための二つの方法がある。一つは認知的予期で、この手法では他人の行動から学習して行為を描き出す(翻訳する)つまり他人の行動が予期と異なっていたらその誤りは修正される。

2010-04-16 03:23:21
蒼龍 @deepbluedragon

もう一つは規範的予期で、この手法では予期から外れた他人の行動はあってはならないものとして否定される、つまりこのとき他人の行動からの学習は行なわれず自らの予期こそが正しいと保持される。外れた他人の行動は非難されたり訴えられたり無視されたりする。

2010-04-16 03:23:35
蒼龍 @deepbluedragon

以上の認知的予期と規範的予期の考え方は、こと様相ともの様相の考え方に近いものがある。特定の性質が本質(もの様相)として固定化されるように、任意の行動が規範として意味論レベルで固定化される。しかし規範とは頭で考えられたものであり、現実には規範に外れた行動は起こりうる

2010-04-16 03:23:48
蒼龍 @deepbluedragon

復習。再録→de dict;こと様相に属するのはnecessary;必然,possible;可能,contingent;偶発 : de re;もの様相に属するのはessence;本質,accident;偶有,substance;実体(ただし実体の分類はルーマンに準ずる)

2010-04-16 03:24:16
蒼龍 @deepbluedragon

ルーマンによる説明では、偶発性(contingency)の定義は必然的でもなく不可能でもないこと。Louxによる説明では、contingencyは現実世界ではこうだけどそうではない可能世界もあること。この説明はだいたい一致する

2010-04-16 03:24:27
蒼龍 @deepbluedragon

自分にとっての他者の行動も、他者にとっての自分の行動も、根源的には不確実なので、二重の偶発性が問題となる。これを解決するために間主観性が生じる。しかし間主観性は安心できる根拠では必ずしもなく、それをめぐってさまざまな攻防が繰り広げられる(道徳的非難や法的制裁など)

2010-04-16 03:25:47
蒼龍 @deepbluedragon

社会的世界に対して物理的世界は相対的に複雑に描かれるとしたが、より正確には物理的用語も社会的用語も世界を理解できる意味へと縮減することには変わりはない。ここから極端な相対主義や反科学主義も生じうるが、実際には経験的に確実性の基準が領域によって異なるだけなので気に病むことはない

2010-04-16 03:26:02
蒼龍 @deepbluedragon

この宇宙が他の宇宙(他の物理法則)でもありえたはずであり、その点では物理世界も偶発的であったと言える、同じように、他の進化による生命もありえたのであり、その点では生物世界も偶発的だったと言える。もちろん他の社会や規範もありえた点では社会的世界も偶発的である。

2010-04-16 03:26:14
蒼龍 @deepbluedragon

神(超越者)の視点からは世界は他のどのようでもありえた。しかし、私たちは所詮は有限な存在であり、神のような超越的な視点を採ることはできない。私たちにできるのは想像力の幅を広げることであり、そのことによって新たな世界を創造することも可能だ(だが傲慢は想像力を狭める元であるぞ)。

2010-04-16 03:26:26
蒼龍 @deepbluedragon

以上、連投終了。お読みいただいた方はご苦労でした。え!何?と思った方は十ちょっと私のつぶやきをさかのぼってお読みいただければ幸いです。こんなやり方がTwitter向きとも思えない(ブログに書けよ)なので、多分もうやらないかな

2010-04-16 03:26:35