人間社会の構成原理を超えないと大切なことは言えないようにこの世界はできている

哲学者・永井均さんのツイートがきれっきれ。もっと注目されてもいいと思ふの。
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永井均 @hitoshinagai1

私は彼らが何をしているのかわからないが、彼らは私に見られていることを知らない、という二つの無知が「しかし」で対比されています。

2021-10-12 18:52:12
永井均 @hitoshinagai1

つまり、彼らには私に知られていない秘密があるが、私にも彼らに知られていない秘密がある、ということです。

2021-10-12 21:12:01
永井均 @hitoshinagai1

どちらにも、知りえぬことと知らえれぬことがあるとはいえ、それでもこの関係は対等ではない。

2021-10-13 10:53:06
永井均 @hitoshinagai1

カラスの側からは、「覗くなら力の限り覗くがよい。しかし、われわれがわれわれである限り、あなたはわれわれが本当は何であるのかを決して知ることができないのだ」と言える。

2021-10-13 14:56:11
永井均 @hitoshinagai1

私の側からは、「隠すなら力の限り隠すがよい。しかし、君たちが君たちである限り、君たちは私が何であるのかを決して知ることができないのだ」と言える。

2021-10-15 01:04:08
永井均 @hitoshinagai1

このごろ俳優が不足して使いまわしているような気がしていたが、みなマスクをしているせいでそう見えるだけかもしれないと思い直した。

2021-10-05 14:14:18
永井均 @hitoshinagai1

しかしもし俳優が不足して使いまわしているのだとしても、使いまわしている主体は誰なのだろう?

2021-10-06 20:10:10
永井均 @hitoshinagai1

それよりなぜ俳優とその俳優が演じている役柄と、二つに分ける必要があるのか。もちろん二つに分けずに合体させてもよく、普通はそう考えられている。哲学の伝統の内にこの型の懐疑論はないにもかかわらず、これもまた哲学の伝統の内にある懐疑論の型を踏襲している。だからここにも実は矛盾がある!

2021-10-07 10:27:11