- mokuhyokabuka
- 2307
- 1
- 2
- 0
鈴木愛理さん(以前には後輩に対する「義務教育中やないかい!」で一寸触れ)上↑では「無名」と言ったが有名らしく本日夜9時45分からは主演連続テレビドラマ『恋なし×夢なし×彼氏なし』も始まるらしい(ABEMAとは何か知りませんが)。このスレッドとの関係では↓の最後が素敵ね。youtube.com/watch?v=bBix9C…
2022-06-23 11:17:56自分の欲望・願望が(強いというより)非常にはっきりしている人が時々いる。選り好みが鮮明にあるという感じ。私は元来は全然といってよいほど無かったのでかなり大人になってからそういう人の真似をして無理に少し付けるようにした。ら、元々本当はあったような気がしてきたが、どうなのかね。
2022-06-19 08:59:59これは「ら、」のこのような使い方を試す文でもあった。「が、」はふつうに使われるので、このような「ら、」も使われるようになるとよいと思う。
2022-06-21 20:59:41選り好みが鮮明にあるか無いかの違いを、ラカンの le symbolique(象徴界とも訳される)とl'imaginaire(想像界とも訳される)の区別に対応させるのはどうだろうか。
2022-06-22 21:50:49しかし、やはり稲葉愛香(まなか)といえばこれか。矛盾が止揚されていてやはり気持ちがいい。ソーラン節もヨサコイ節も素晴らしい。 youtube.com/watch?v=LRE8FS…
2022-05-30 15:57:50自分の欲望・願望が(強いというより)非常にはっきりしている人が時々いる。選り好みが鮮明にあるという感じ。私は元来は全然といってよいほど無かったのでかなり大人になってからそういう人の真似をして無理に少し付けるようにした。ら、元々本当はあったような気がしてきたが、どうなのかね。
2022-06-19 08:59:59最初のダンス動画とこれ↓を見比べて最初のツイートの「矛盾」の意味がわかったと仰る方がいたので貼っておきます。確かに違う人のような感じがします。youtube.com/watch?v=JYTp5D…
2022-06-17 00:08:30ブルース・フィンクの名著『ラカン派精神分析入門』にこう書かれている。全体を読んでいないとわかりにくいかもしれないが精神分析の意義の説明としてこれは至言と思われる。「…構築以前は、いかなる拠点、立場も存在せず、尋ね疑う可能性もなかった。しかし、構築以後は、自分の足元を地面から切り離
2022-06-23 11:47:10すことも決してなく、子どもはすべてのことに異議を唱えることができる。彼は、極端に言えば、生れてこなければ良かったと思うようになるかもしれないが、しかし、そこは少なくとも、その願望を明確に述べることができる場所であろう。この場所こそ、まさしく主体、ラカン的主体なのである。」(292頁)
2022-06-23 11:48:08「生れてこなければ良かった」でもよいから、ともあれその願望を「明確に述べる」ことができる場所に立つことこそがともあれ最重要だ、というこの価値観に特別な敬意を(賛意ではなく)感じるので、私はここで規定されている精神分析学とラカンの仕事に敬意を抱かざるをえないのね。
2022-06-23 22:06:18これはもちろん「生れてこなければ良かった」でなくもっと過激な「人類は絶滅させねばならない」でも何でもよいのですよ。人間社会の構成原理を超えた人間愛みたいなもの。ともあれ、この種の敬意を感じざるをえないものがもっとたくさんあれば世界はもっと美しかったのに、何故かあまりないな。
2022-06-24 00:05:02人間社会の構成原理を超えないと大切なことは言えないようにこの世界はできているのだが、肝心なそこでみんなビビる、日和る、怖気づく、…ようである。それで、みんな、ついついつまらないことを言ってしまう。もちろん、そうではなく、最初からただつまらない場合も多いけれど…。
2022-06-25 11:51:51ブルース・フィンクからの引用文について「精神分析の意義の説明として」至言と言ったけれど、これは精神病・神経症・倒錯の三分類の記述の最後に、倒錯の章の内部で言われていることなので、「精神分析の…」と言ってしまうのは拙いかもしれない。私見では倒錯こそが最重要なのではあるけれど…。
2022-06-26 10:16:32何度説明しても、「心臓がある動物」と「腎臓がある動物」の外延が一致していても(すなわち存在するすべての心臓がある動物は腎臓もあり存在するすべての腎臓がある動物は心臓もあるとしても)「心臓がある動物」と「腎臓がある動物」の意味(内包)は異なるという単純明快な分類に基づく話が通じにくい。
2022-06-19 10:39:02この例についてさえ、存在するすべての心臓がある動物には腎臓もあり存在するすべての腎臓がある動物には心臓もあるとどうしてわかるのだ?もしかしたた心臓はあるが腎臓はない動物がこれから発見されるかもしれないではないか?といった反論(?)をする人がいる。
2022-06-21 20:54:41上の反論は「すべての独身者は結婚していない」という真理に対して「独身のふりをしているだけで実は結婚している人がいるかもしれない」と反論するようなものなのだが、これでさえ実際にこ種の疑問を出す人は多い。意味の問題をそれ自体として扱うのは言語を使う人間の第二の自然に反するのであろう。
2022-06-25 09:14:23自分に理解できない議論などを非難の意味で「たんなる言葉遊びにすぎない」などと評する人がいるけれど、しかしむしろたんなる言葉遊びの文章が書ける才のある人なんて滅多にいないのではあるまいか。
2022-05-28 20:45:17たしか那珂太郎氏だったと思うけど(間違えていたら御免なさい)その詩が「言葉遊び」だと評された際に「まだその水準には達していない」という意味の応答をしていたように思う。(関係ないが、たしかにその水準には達していないー伝えるべき内容が隠されているー那珂太郎の詩が私はとても好きだ。)
2022-05-31 09:31:25でさえ、たしかに、まだまだ「たんなる言葉遊び」といえる水準にはほど遠く、ずいぶんと何かしら「いいこと」を言ってしまっている、と感じられます。
2022-06-01 10:34:12というわけなので他人の文章を「たんなる言葉遊びにすぎない」などと非難する人は自分自身がその文章の意味内容を読み取れないためにそこに字面上の繋がりしか見えないと言っているにすぎないことが多く知る限りでは100%そうである。どういう場合にそういうことが起こりがちかについては次に考える。
2022-06-04 09:43:03人生や世界についての最も率直な感想は、何だか薄気味の悪いもの、ということ。いったい何なんだ、この薄気味の悪いものは? 変なものに生まついちゃったな、といつも感じている。あまりにも変で、だから面白いともいえるが、それでもやっぱり必要はなかったな。
2022-04-28 18:07:19素直にこの薄気味の悪さの一翼を担えるような人は、きっとあまり薄気味悪く感じていないのだろうと思う。そういう人も結構いるようで、そこがまた薄気味悪い。
2022-04-29 00:47:11とはいえ、そんな人間界の些事よりも前に、そもそも自然のこのあり方そのものがすでにして薄気味が悪い。よく自然美などを感嘆する人がいるけれど、自然の美ってとりわけ薄気味悪くないですか?
2022-04-29 10:37:32