『東京四次元紀行』について、ご意見ご要望、またはご感想などございましたら、@tako_ashi宛てで 送ってください。お願いします。自分から メンションを探しに行くのが、大変になっているので。
2022-06-10 08:21:35
午後二つ目の座が終わったところで小田嶋さんの訃報が届きました。6月13日に平川君とお見舞いに行ったのがお別れになりました。ご冥福をお祈りします。
2022-06-24 15:46:39小田嶋さんと最後にお会いしたのは6月13日でした。その少し前にお電話を頂いて、「旧知の方たちに意識がはっきりしているうちに別れの挨拶をしておこうと思って」ということでした。次の週に平川君と二人で赤羽のお宅にお見舞いに行きました。
2022-06-24 20:32:36ベッドに横になっていて、話をするのも苦しそうでしたが、半身起き上がって「どうでもいいようなバカ話がしたいんですよ」というので、ご希望にお応えして、三人で思い切り「バカ話」をするつもりでいたのですが、話しているうちにどんどん元気になってきて、言語と文学の話を熱く語ってくれました。
2022-06-24 20:38:17最初の小説『東京四次元紀行』が出たばかりでしたから、その話が中心でした。1時間以上話して、別れ際に「じゃあ、元気で。またね」と手を握ると暖かくて柔らかい手で握り返してくれました。長い付き合いの最後の贈り物が笑顔と暖かい手の感触でした。素晴らしい友人でした。ご冥福を祈ります。
2022-06-24 20:45:51小田嶋さんが電話をくれたのは、彼の親友だった岡康道さんが急逝された時に「最後の挨拶ができなかったことが友人として悔いが残った」のでそういう思いを自分の友人にはさせたくないからという理由からでした。小田嶋さん、ほんとうに気遣いの行き届いた人でした。
2022-06-24 21:02:18最初に小田嶋さんの文章を読んだのは『シティーロード』のコラムでした。「すごい」と思って追っかけた「最初の年下の書き手」です。『我が心はICにあらず』以後小田嶋さんの本は全部買いました。『寝ながら学べる構造主義』には小田嶋さんへの謝辞が掲げてあります。まだお会いする前でした。
2022-06-24 21:20:29毎日新聞にいた中野葉子さんが「九条の本を出したいので寄稿してほしい人いますか?」と訊いてくれたので、平川克美、小田嶋隆、町山智浩の3人の名前を挙げました。平川君はもちろん子どもの時からの友だちですが、後の二人は僕が一方的に「追っかけ」てた人です。
2022-06-24 21:24:20なぜかこの二人が寄稿を引き受けてくれました。本が出て、出版祝の席ではじめて「あこがれの人たち」にお会いすることになったのです。あまりに興奮してたので、二人が来る前に眼鏡をかけた男性編集者を見て、「お、小田嶋さんですか!」と駆け寄って「違います」と怪訝な顔をされました。
2022-06-24 21:29:30町山さんが宝島社にいた頃に小田嶋さんの担当編集者だったという因縁もその時に知りました。まことに不思議なご縁です。4人が一堂に会したのはその時含めて2回だけですが、おかげで僕はこの二人の天才と以後長い付き合いをすることになりました。中野さんに感謝です。
2022-06-24 21:39:34GQJapanの依頼で「小田嶋隆の仕事」というタイトルで追悼文を書きました。小田嶋さんの書き手としてのスタンスの独自性について。小田嶋さんは橋本治さんの「革命的半ズボン主義」の後継者・実践者だったのだ思います。病床で最後に言及した作家が橋本治で、著作が『革命的半ズボン主義宣言』でした。
2022-06-25 16:10:26小田嶋さんの孤立は比喩的に言えば「夏休みが終わって高校生たちがスマートに受験モードに切り替えた時に、1人だけ夏休みが終わったのに気づかず半ズボンとアロハとゴム草履で学校に来てしまった少年」の孤独のようなものだったんじゃないかと思います。橋本治さんの孤独はそういうものでした。
2022-06-25 16:13:19彼の孤立は「特別な生き物」であるせいじゃないんです。だって、みんなちょっと前まで半ズボンはいていたんですから。「また半ズボン姿に戻っておいでよ」と彼は背広を着た同級生たち呼びかけている。小田嶋さんの子ども時代について書いた文章が際立って質が高いのはたぶんそのせいだと思います。
2022-06-25 16:16:23朝一仕事とてGQJapanウェブ版に「小田嶋さんの思い出」4500字を送稿。2000字の依頼でしたが、つい長くなってしまいました。彼のポジションは「オープンマインデッドな少数派」という独特のものだったというのが僕の考えです。
2022-06-26 11:22:36ふつう「少数派」や「異端」は「多数派」や「正系」に対して自分の立場を「説明する」という労を取りません。少数派同士で「俗衆の頭越しにもののわかったもの同士で目配せをする」ということをしがちです。小田嶋さんはそういう「すかした」ふるまいが大嫌いでした。
2022-06-26 11:26:28彼の書くものは本質的に「説明」だったと思います。「私は世の『ふつうの人たち』のようには考えないし、『ふつうの人たち』のような言葉づかいをしないが、その理由をこれからご説明する。それをみなさんは理解できるはずである」というのが小田嶋さんのスタンスでした。
2022-06-26 11:28:13彼の個性は最後の「それをみなさんは理解できるはずである」というところにありました。彼は読者の知性を信頼していた。きちんと説明さえすれば、自分の考えが理解できる(同意はできぬまでも)と信じて小田嶋さんは書いていた。
2022-06-26 11:30:10「この固有名詞を知らないやつは読者に想定してない」とか「この引用の出典を知らないようなやつには聞かせる話はない」というような横柄な構えを彼はしたことがありません。「よく事情を知らない人」に向かって説明する労を彼は惜しまなかった。「オープンマインデッドな少数派」とはそのことです。
2022-06-26 11:32:38