サッカーは自由なスポーツである。後ろにドリブルをしても、どのタイミングでパスを出しても、どこからシュートをしても自由である。その瞬間瞬間に自分で判断し、どんなプレーをしてもよい。
2010-05-02 22:33:41だが、そこにはルールがある。手を使ってはいけない(キーパーを除く)。危険なプレーをしてはいけない・・・。それを守ったものだけに自由が与えられる。守らないものはそのピッチに立つことさえ許されなくなる(退場)。
2010-05-02 22:36:14自由とはルールを守ったものだけに与えられるものなのだ。我々の世の中も同じである。ここには法律がある。これを守らないものは罰せられる。ただ、これを守れば我々には自由が与えられる。何をしてもよいのだ(もちろんモラルに反することはやらないこと)
2010-05-02 22:39:29どんな趣味を持ちそれに没頭するもよし。やりたい仕事を自らやるのもよし。行きたい場所にいくのもよし。自分がやりたいと思うことはすべて自分の手で実行することが出来るのだ。
2010-05-02 22:42:07では数学の世界はどうであろうか?数学にもルールがある。絶対に守らなければならないルールがある。しかし、その最低限のルールを守れば数学においても自由を手にすることが出来るのだ。何をしてもよいのだ。
2010-05-02 22:45:57学校の教育を見ていると、この自由を奪っているケースが多く見受けられる。ここにはイコールを付けなければならない。この計算は、俺がこう教えたんだからこの方法しか認めない・・・。このようなことは学校の定期試験でよく目にする。これは教育者として、本当に悲しいことである。
2010-05-02 22:48:46生徒が自分の力で考え、習ったこととは違う方法でその問題を解決しようとしているのに、そのアイディアをすべて否定してしまっているのだ。生徒が自由な発想をもって問題を解決しようとしているのにも関わらず・・・
2010-05-02 22:51:08これでは数学は嫌いになるに決まっている。数学とは工夫し、自由な発想で問題を解決していくところに楽しさがある。(この考え方は人それぞれですが。)しっかりと意味を把握し、考えることで数学の力は養われていくものである。
2010-05-02 22:53:53それなのに自分の考えや発想を否定されてしまったら・・・次もまた自分の力で問題を解決しようとするだろうか?新しいアイディアを思い浮かべようとするだろうか?おそらく、また自分の考えなんか否定されてしまうと思ってしまうのではないだろうか?
2010-05-02 22:56:41こうやって算数、数学は嫌いになってしまう。決まった解き方を覚えればいいんだと思い込んでしまう。 こうなってしまったら、自由はどこにもない。本来楽しむべき自由がないのだ。こんな教育で数学の力を付けさせるためにはどうすればよいか?
2010-05-02 23:00:50そこで行きつく先は、多く問題演習をさせる。ということになる!意味もわからずただ問題をたくさん解かされ、成績が悪いと勉強が足りない。本当に勉強しているのか!?そんな言葉が飛んでくる。
2010-05-02 23:03:17このように教育された生徒は数学は自分には才能がないのだ。数学を使わない大学を受験しよう。となる。この瞬間に、子供たちの可能性は大きく狭められているのだ。そして、子供たちはそれを自分のせいだと受け止める。
2010-05-02 23:06:04今伝えているものから、何を発想させたいのか!?どんな感動を与えたいのか!?そこで何を意識させることで次につながり、またそこでどんな感動が与えられるのか!?そこまで組み立てて、初めて教育なのではないだろうか?
2010-05-02 23:28:38