- toshihiro36
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批評(1)批評とは、無私を得る道であると小林秀雄は言った。昨日、担当編集者だった池田雅延さんにさまざまなお話を伺いながら、小林秀雄の生き方の厳しさについて思い返していた。
2011-04-18 09:06:24批評(2)小林の批評の姿勢は、戦後「ぼくは無知だから反省などしない」との発言に顕れている。「知識人」の多くが転向する中で、小林は、決して、戦争についての「反省」など口にしなかった。ここには、「無私」を巡る厳しい生き方がある。
2011-04-18 09:07:58批評(3)小林秀雄は、決して、戦争翼賛だったわけではない。戦時中に『無常といふこと』『当麻』などといった、日本の古典に取材した批評を発表した。そこには、時局に対する言及は、一切なかった。
2011-04-18 09:09:27批評(4)真の批評性は、時代に対する向き合い方の中に顕れる。夏目漱石は、第一次大戦が荒れ狂う中、敢えて『硝子戸の中』で身の回りの小世界について書いた。椎名誠の『哀愁の町に霧が降るのだ』は学生紛争華やかなりし頃の話だが、そのことに一切触れていない。
2011-04-18 09:11:04批評(5)「無私」に至るためには、自分のあり方を引き受けなければならない。自分という存在を離れてペラペラ喋る言説は軽い。何を語り、何を語らないか。そこに最高の批評性が顕れる。小林秀雄は、厳しい人だったな。
2011-04-18 09:12:07批評(6)担当編集者だった池田雅延さんと、小林秀雄さんが好きだったという普賢象桜を見た。小林さんは、7分咲きがお好きだったという。花に、若々しい勢いがあるからだ。その頃になるとそわそわして、毎日、今日はどうか、と見上げていたのだという。
2011-04-18 09:13:42批評(7)批評とは、本来は、相手のことをどうこういうことではなく、自分の生き方を黙って処することだ。普賢桜を見上げていた小林さんの細い身体の風情に、批評の神さまが宿る。
2011-04-18 09:14:49批評(8)小林秀雄さんが文学賞のパーティーに現れると、普段からつき合いのある人以外は、周囲3メートルくらい誰も近づけなかったという。「おい、小林」と結界を破って入ってこれるのは、普段からの飲み友だちばかり。
2011-04-18 09:15:39批評(9)震災で何が一番変わったかと言えば、自分を棚上げにした安易な批評の言葉から心が離れたことかな。桜の花をきちんと見て上げられなかった後悔の思いを、小林秀雄さんの文章を読み返すことで救いたい。
2011-04-18 09:16:53