満州事変前の国内の政局の動きとか世界恐慌時の日本の経済政策とか
- futaba_AFB
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@futaba_AFB 日銀レートで円を金にする→その金を使って市場レートで円を買う→その円で日銀レートの金を(以下略)ですから、円としては儲けても国全体としては金が出て行く一方になるからですね。
2011-09-25 16:51:40まとめたら、濱口内閣での経済政策についてもるぱさんが解説してくれました。
@futaba_AFB ちょっと、戦前の金本位制回帰した際の不況の話をしましょうか。高橋是清の伝記からですが。日本が金本位制に復帰するって話はWWⅠ後の列強の中で一番復帰が遅れたから。この辺りに尽きるでしょうね。(続
2011-09-25 18:24:47@futaba_AFB 1922年のジェノア会議で当時の先進国は全て金本位制への復帰を約束してしましたし。そして1929年までには日本以外は復帰を果たしていました。ここでポイントなのは1929年には世界恐慌の発端のアメリカでの株価の暴落が起きていたということです。
2011-09-25 18:25:43@futaba_AFB 金本位制になることによる為替相場の安定。ここも利点ではあったのですが、そのためには 均衡財政と金融の引き締めが必要でした。後、外貨流出を避けるための輸入の縮小とそれに伴う国内消費の圧縮、財政削減。さて、これによって何が起きたかと言うと不況になった訳です
2011-09-25 18:28:18@futaba_AFB (・д・;) 当然のことですが、政府支出を削減し、国内消費を抑制するようなことをやって景気が良くなるはずがありません。具体的に書けば消費者物価は1930年に8.3%減少。1931年に12%縮小し、需要・生産・新規設備投資の部分で落ち込みが起きました。
2011-09-25 18:30:50@futaba_AFB 要するにデフレに陥った訳ですね。震災復興等での緩和策のため、WWI前よりも通貨安に陥っていたのを通貨高にしての金本位制復帰のため、一種の通貨高政策という側面もありましたし。この金解禁準備不況に合わせて、世界恐慌がその後すぐに日本に直撃した訳です。
2011-09-25 18:34:20@futaba_AFB 金解禁準備不況で減った消費者物価は更に世界恐慌の影響もあり1931年には19.3%減少。1929年~1932年の失業者数は推測に頼る他はないのですが120万(佐藤和夫・尾高煌之助)~300万(隅谷三喜男)失業率は非農業部門で低めの推定で8%高めで20%
2011-09-25 18:40:00@futaba_AFB 仮に20%だとした場合、現在の救いようのない経済的な苦境に立たされてるスペインの状況とほぼ同じ。輸出も金本位制復帰への通貨高政策と世界恐慌のため1929年の21億5000万円から1931年の11億円5000万と50%程度低下。
2011-09-25 18:43:43@futaba_AFB と言うことを考えると金相場で儲けた財閥の資金など、その後3年に渡った不況のため蒸発してしまったのだろうなぁと。そんな感想を持ちました。1931年にはイギリスの金本位制離脱の影響で日本も離脱すると思われたため、円売りする主要銀行との通貨防衛も経験しますしね
2011-09-25 18:51:31@futaba_AFB 日本が金本位制から離脱した場合に起きる円安で為替差益を得ようとする動きに対応して、金本位制維持のために、金利を高くし資本流失を食い止める過程で、国内の設備投資が金利高のために1931年末にはほぼ停止してしまうって恐慌が起き株価の暴落も起きたので。
2011-09-25 18:54:10@futaba_AFB 高橋財政の前の井上財政は不況と失業で酷いことになってた訳ですが、不況時に金本位制を頑なに維持しようとするとどうしてもこうなります。管理通貨制に比べて、流動性の確保って意味で難があるので。ただ、不況時における均衡財政の弊害って部分では教訓にはなります
2011-09-25 19:03:34@futaba_AFB (=д=) OKです。取り敢えず参考文献として『高橋是清 日本のケインズその生涯と思想』東洋経済からの引用でした。
2011-09-25 19:11:29