督姫の生まれ年と毒饅頭事件について

徳川家康次女督姫の生まれた年は、永禄8年でも天正3年でもなく天正4年である、とする史料の紹介と、日記・書状による毒饅頭事件の否定。
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アリノリ @a_ri_no_ri

永禄8年に督姫が生まれていたら、20代の間に子が一人いるのだが、督姫が天正4年生まれとなると、次男秀康の後になり、20代の家康に子がゼロという事態になる。(*添付の表を参照)秀康以降の子の誕生ぶりからして、20代のゼロは明らかに「敢えての子なし」状態と言えよう。 pic.twitter.com/YYqmCEsS8g

2022-08-07 14:51:44
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アリノリ @a_ri_no_ri

20代と同じように家康に子が生まれなくなるのは、秀吉の妹朝日姫と結婚している期間である。秀康母の出産が隠すように行われていることからして、正室築山殿あたりが要因ではないかと思われるが、はっきりしない。取り敢えず、督姫の生年が移動すると、20代の家康に子がいなくなる点を指摘しておく。

2022-08-06 20:24:48
アリノリ @a_ri_no_ri

最後は毒饅頭事件である。 『大三川志』digital.archives.go.jp/file/1233925.h… にはこうある。 <督姫は自分の子忠継に跡を継がせるため、先室の子利隆に毒饅頭を食べさせようとした。しかし、忠継が気が付いて利隆の饅頭を奪って食べた。→

2022-08-06 20:25:05
アリノリ @a_ri_no_ri

利隆もその割れた半分を奪って食べたのを見て、督姫も饅頭を食べてまもなく亡くなった。毒饅頭のせいで忠継もほどなく死亡し、翌年、利隆も痩せて没した> 実際に三人が少しずつ間を開けて死亡しているので、そこから捏造された話のようだ。

2022-08-06 20:25:15
アリノリ @a_ri_no_ri

没する順番が、忠継→督姫→利隆となっている話もある。 『聞書雑話集』clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/id… 『大三川志』の順はまだいいが、忠継→督姫→利隆の死亡順は完全に事実と異なる。

2022-08-06 20:25:30
アリノリ @a_ri_no_ri

編纂史料や逸話集ではなく同時代の書状や日記で確認すると、督姫も忠継も氏直と同じ「疱瘡(天然痘)」で死亡している。疱瘡は感染力が強く、京都では定期的に流行している。同時代で感染した(治癒した)著名人には、伊達政宗、秀頼、千姫らがいる。(*注意:秀頼と千姫が感染した時期は離れている)

2022-08-06 20:25:44
アリノリ @a_ri_no_ri

『義演准后日記』には、慶長20年(元和元年)「正月晦日、備前之御前(=督姫)ハウサウ御煩」とある。後世の編纂史料ではあるが、『駿府記』には同じ正月30日に、京都所司代の板倉勝重から家康に連絡があり、22,23日から督姫が疱瘡を患っているとある。このとき、家康は駿府に戻る途中で遠江の中泉にいた。

2022-08-06 20:25:55
アリノリ @a_ri_no_ri

家康は直ぐに使者を派遣していて、崇伝の日記に「良照院殿(=督姫)見廻ニ、為御使内藤長介殿御上」とある。池田家の方でも家康に二月二日に書状を出していて、『大日本史料』に掲載されている。clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/id…

2022-08-06 20:26:06
アリノリ @a_ri_no_ri

池田玄隆(利隆)と忠継が連名で家康の側近にあてて(実際には家康に向けて)、「良正院(=督姫)の容体は良くなりましたから、安心してください。前日には医者も参りました」と伝えている。ただ、この病の改善は一時的であったようで、二月五日の朝に督姫は亡くなった。

2022-08-06 20:26:16
アリノリ @a_ri_no_ri

このとき督姫は二条城にいたようで、崇伝は「二條之御屋敷ニて御遠行也」と記す。前年の慶長19年12月に大坂冬の陣が終わっている。恐らく、督姫は冬の陣に参加した二人の息子をねぎらうため&正月3日まで在京していた父家康に会うために、京に行き、二条城に滞在していたのだろう。

2022-08-06 20:26:27
アリノリ @a_ri_no_ri

『池田家履歴略記』によれば、利隆は慶長19年12月28日に家康から褒美の白銀3000両をもらって、姫路へ戻る許可を得ているので、利隆の方は一度姫路に帰った後、義母督姫の疱瘡感染を知って再び京に向かった可能性もある。 どちらにしろ、病に伏す督姫の傍には利隆・忠継の異母兄弟がいた。

2022-08-06 20:26:41
アリノリ @a_ri_no_ri

督姫が毒饅頭ではなく疱瘡で死亡したのは、当事者の書状と第三者の日記で確認できる。毒饅頭事件は捏造された創作で、事実ではない。 実子忠継が2月23日に備前で疱瘡で死亡したのも、母督姫を看病してうつってしまったのだろう。疱瘡は感染力が強い。潜伏期間中(7〜16日間)に備前に戻るのも可能だ。

2022-08-06 20:27:29
アリノリ @a_ri_no_ri

忠継の疱瘡についても秀忠の書状に記載がある。『大日本史料』clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/id… 忠継の死因も毒ではないのが、この書状で裏付けられる。

2022-08-06 20:27:50
アリノリ @a_ri_no_ri

今回、確認のために毒饅頭事件を記す史料(逸話集)を読んだが、どれも督姫を愚かに描写していた。実在の人物を事実無根の罪で悪女に仕立て上げ、ありがちな継子ネタを押し付けている。特に『大三川志』は忠継の疱瘡を偽りのように記していてタチが悪いと思う。

2022-08-06 20:28:04
アリノリ @a_ri_no_ri

このような作り話ができたのにも複数の要因があるだろうが、そこまでさかのぼって探るほどの関心は(今のところ)ない。督姫は(これまでの)大河でも出番はなく、史料も少ない。彼女を語る素材を見つけようとすると毒饅頭が使われがちであったが、ご覧の通り、その話は実際の彼女とは全く無関係なのだ。

2022-08-06 20:28:13
アリノリ @a_ri_no_ri

江戸時代の逸話や明治以降の小説で作られた「キャラ付け」や「ネタ」はキャッチーで使いやすいが故に、お手軽な素材として今でもドラマやゲーム、漫画などでよく使われる。しかし、前にあげた秀康や秀忠、今回の督姫のように、それらは現実の当人達を反映していない場合が多い。

2022-08-06 20:28:23
アリノリ @a_ri_no_ri

作られた素材を楽しむだけなら問題はないが、そのお手軽素材を事実のように扱うのは誤りである。特にこの毒饅頭事件の捏造は、病の督姫に寄り添っていた利隆や忠継をないがしろにしており、かなりヒドイ部類と言える。

2022-08-06 20:28:33
アリノリ @a_ri_no_ri

以上、督姫の生年と毒饅頭事件について、でした。 参考文献:『義演准后日記』『大日本史料』『戦国大名・北条氏直』『戦国遺文 後北条氏編』第五巻 『駿府記』『本光国師日記』『大三川志』ほか 参考論文:「近世における誕生日-将軍から庶民まで そのあり方と意識-」cir.nii.ac.jp/crid/139000922…

2022-08-06 20:28:53