日本学術会議・哲学委: “原発災害をめぐる科学者の社会的責任”公開シンポジウム
昔、経産省の委員してた時も交通費+1万円くらいでした。RT @GenTarumi: 御用学者と称されている人がおしゃれなのは、霞が関での会議が多いからであって、政府に雇用されると金持ちになるわけではありません。謝金など規… (cont) http://t.co/20k7La5K
2011-09-18 15:34:50この点、質疑応答があれば、会場からどなたかぜひ!RT @irukatodouro: 日本学術会議の良心が問われる放射能シンポジウム、なぜステイクホルダーという重要な問題が問われない? 「過去、消費者団体によって罷免請求さ… (cont) http://t.co/mdM8nkz6
2011-09-18 15:38:28「メリットなしのリスク」は「リスク」とは呼ばない。ただの「危険(danger, peril)」。社会学的にも日常的にも自明の理。
2011-09-18 15:40:56同様に「自己決定の余地なきリスク」も「リスク」ではなく、ただの「危険」もしくは「危害」。リスクとは、何らかの利益を目指して、自己決定して選択する行為に伴う損失可能性のこと。それが語源的にも日常的にも正しい用法で、科学的な用法は脱歴史化・脱生活世界化した逸脱用法。
2011-09-18 15:45:52行動するための情報が欠けていることが不安を余計に惹起するんですよね。危機状態で人間は「日常」すら管理できない「無能力状態」に陥ってしまうので。行動能力を高める情報提供は危機管理のイロハ。RT @maya0520: いかに… (cont) http://t.co/qzjdrlae
2011-09-18 15:57:19ついでにいうなら、根本的に欠けているのは、行動のための「情報」ではなく、そもそもの行動の「選択肢」。たとえば測定・除染、そしてとくに避難に関して政府・自治体の対策が不十分であるため、市民が取りうる行動の選択肢が狭くなり、「八方ふさがり」で不安と不満とストレスが高まる構図が問題。
2011-09-18 16:01:05唐木さんはリスク評価への「参加」に関して大事なことを話してない。リスク評価を行うには、何をどのような証拠に照らして評価するか、不確実性がある場合はどのように判断するかといったことを決めなくてはならず、しかもそこには世の中の価値観や利害が関わる判断がたくさん含まれている。(続く)
2011-09-18 16:05:04(続)そのようなリスク評価の前提となる、社会的判断も含めた事柄を「リスク評価方針」という。大事なのは、例えば食品安全の国際規格を司ってるコーデックス委員会でも、リスク評価方針は、それに先だって、消費者、事業者などステークホルダーや行政外部の研究者と協議して決めるべしとしている点。
2011-09-18 16:08:12(続)つまりリスク評価というのは確かに科学的な作業だけれども、科学的判断をするための前提に、実は社会的判断が含まれているため、そこをちゃんと社会にオープンにして方針を決めなければならないということ、それを欠けば、科学の名のもとに特定の社会的判断を覆い隠すことになるということ。
2011-09-18 16:10:51(続)そしてもこのようなコーデックス委員会の考え方は、日本の食品安全行政でも前提とされており、部分的にはそういう機能は実装されてる。それを食品安全委員会でリスクコミュニケーション専門調査会座長代理をした唐木氏が理解してないとすれば余りに不適切。知ってて黙ってるとしたら欺瞞。
2011-09-18 16:13:41(続)リスク評価に含まれる社会的判断の話は拙著(http://t.co/iQEuuBNF )でも簡単に解説したのだけど、本格的にはこちらの報告書参照(英文)。これはリスク評価方針やそれを決める仕組みが国によってどう違うか国際比較したもの。http://t.co/v0zlPlwk
2011-09-18 16:18:23(続)今リンクした英文報告書では、自分も共著者として、日本の遺伝子組換え作物の環境リスクと食品リスクに関するリスク評価方針とその策定過程についてまとめてます。 http://t.co/v0zlPlwk
2011-09-18 16:20:38すみません(汗)危機になると、みんな「何をしていいかわからない」状態になってしまうので、「何をしたらいいか」という情報が大事だよね、って話でした。RT @Ackiee25: 中坊でも解るような言いまわしで言って(笑)“@… (cont) http://t.co/2DEjmK9m
2011-09-18 16:24:00まぁ、あのときは唐木さん的キャラがいませんでしたからねぇ。RT @A_laragi: 6.26公共哲学シンポより対決色が強く、問題点が浮き彫りになっている感じ。
2011-09-18 16:26:28そういえばこの前小林さんと話していたことだけど、こと今回の放射能汚染問題に関しては、メリットも自己選択もない以上、「ゼロリスク」を要求するのは、要するに自然放射線のみだった311以前の状態への「原状復帰要求」であり、極めて当たり前の権利主張なのよね。現実どこまで可能かは別として。
2011-09-18 17:02:02.@discoder 一番わかりやすいのは、そもそも何をリスク評価の対象とするかという「スコーピング」や、優先順位のつけ方ですね。これは「何をよりいっそう避けたいか」「何を守りたいか」という価値判断にもろに直結しています。
2011-09-18 17:21:29.@discoder あと微妙なところでは、たとえばある物質について、安全性を示す証拠に対して危険性を示す証拠が少ないが、後者も科学的に誤りとは断定できないとき、公衆の健康保護の観点から、少ない証拠でも重視して安全寄りのリスク評価モデルを採用するか否かというところにも関わります。
2011-09-18 17:23:07.@discoder 先にリンクした報告書にある例ですが、安全を示す証拠は額面通りに採用するが、危険を示す証拠には色々注釈をつけてなかなか採用しないという例なんかもあったりします。これは意図的に産業側に立ってる場合もあれば、当人たちは無意識だけど結果的にそうなる場合もあります。
2011-09-18 17:27:06さっきのtw(http://t.co/GVP5QIDp )に補足:放射線リスクを巡っては、現実どこまで可能かという事実の問題と、その事実=現実をもたらしたこと(者)の「責任」とそれに対する「権利」の問題と、二重になっている。そして誰もが現実から出発せねばならんのは分りきっている。
2011-09-18 17:33:40(続)そして、現実から出発せざるをえず、どこまでリスクを311以前の水準に近づけられるかはわからないからこそ、「責任」や「権利」という道義的問題に対する納得できる答えもなければ、心のわだかまりは決して解けない。前者だけではリスクと同時に無責任まで受忍させられる二重の不正義になる。
2011-09-18 17:38:11oO(そう、宿命を運命として受け入れ、受肉するには、「筋としての正当性」がちゃんと確保され納得され、かつ常に確認され続けなければならないのよね。それが人間。)
2011-09-18 17:48:46現実の受忍なんて、当事者であればあるほど、どうやったってしてるわけですよ。誰に言われずとも。だからこそ外野含めて「不正義」の問題を告発し続けなければならんわけです。RT @A_laragi: 結局、そうやってどんどん「現… (cont) http://t.co/yAJyPHMO
2011-09-18 17:51:08はい。一言でまとめると、まさそういうことです。ありがとうございます。RT @discoder: @hirakawah ありがとうございます。問題を捉えるための枠組みの選択は常にある意思/価値観に基づく、というようなことですね。
2011-09-18 18:02:43