本当は重要な『耳をすませば』

ジブリ作品の中では比較的地味な印象のある『耳をすませば』についての呟きです。 (セルフまとめです)
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エンタメ放浪者 ウディ本舗 @woody_honpo

宮崎駿は「原画チェックが大変なんです。絵コンテでいいなら、いくらでも描けます」と話していた。 宮崎駿が全ての原画をチェックする(描き直す)ことで、誰がスタッフになっても、宮崎アニメは同じようなキャラクターとタイミングになる。 このような制作スタイルを採る長編アニメ作家は他にいない。

2022-08-27 13:52:18
エンタメ放浪者 ウディ本舗 @woody_honpo

宮崎アニメにおける作画監督は宮崎駿がチェックしたラフ原画をクリンアップする作業が大半になるらしい。 ナウシカの作画監督の前に『銀河鉄道999』等ですでにベテランだった小松原一男は「普通のアニメの作監補佐に近い仕事」だと話していた。 「だから簡単なのかというと、これが大変なんですよ!」 twitter.com/woody_honpo/st…

2022-08-27 17:30:43
エンタメ放浪者 ウディ本舗 @woody_honpo

宮崎駿がチェックした原画は膨大な上に非常にラフなので、どう線を拾うかで、かなり絵が変わってしまう。 ボリューム的には非常に厳しい仕事らしいが、しかし、あくまでも宮崎駿の補佐だから、脚光は浴びない。 実際「小松原一男の仕事」として『風の谷のナウシカ』が語られることは殆どない。

2022-08-27 17:38:49
エンタメ放浪者 ウディ本舗 @woody_honpo

ジブリには複数の演出家がいたが、宮崎駿の(超人的な)原画チェックスタイルを引き継いだのは、近藤喜文だけではないだろうか?並のアニメーターに出来る仕事ではないのだろう。 高畑勲と宮崎駿が、自分の作品に欲しくて取り合いになる実力の持ち主である、近藤喜文だから可能だったのかもしれない。

2022-08-27 19:25:24
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『耳をすませば』の繊細な日常芝居は、宮崎駿ではなく、近藤喜文のものなのだ。それは、もっときちんと評価されるべきではないか。 日常芝居については、宮崎駿より近藤喜文の方が上手いのではないかと思う。 宮崎駿も、それを認めているから、『耳をすませば』を近藤喜文に任せたのだろう。 pic.twitter.com/k3yHYTkBBE

2022-08-28 08:43:56
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『ニモ』を制作する際に、ディズニーのナインオールドメンであるフランク・トーマスとオーリー・ジョンストンによって、日本側スタッフに対するレクチャーが実施された。 このレクチャーには、宮崎駿、高畑勲、大塚康生などが参加したが、フランク&オーリーに最も実力を称賛されたのは近藤喜文だった。

2022-08-28 08:57:31

追記

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『耳をすませば』という作品での近藤喜文の仕事の根幹は原画チェックだろう。 宮崎アニメにおいて、宮崎駿の「労働」の大半を占めるのは原画チェックであり『耳をすませば』は「原画チェックを他人に任せられたら宮崎駿の負担を軽減して宮崎アニメが作れるのでは?」という実験の側面もあったと思う。 twitter.com/woody_honpo/st…

2022-09-06 07:22:08
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『耳をすませば』の監督は宮崎駿ではない。宮崎駿や高畑勲の作品を支えた名アニメーター近藤喜文だ。 しかし、脚本・絵コンテは宮崎駿で、演出の領域にまで口を出している。普通の作品なら、宮崎駿が監督だろう。 しかし、なぜ近藤喜文なのか?それは「原画チェック」をしているのが近藤喜文だからだ。 pic.twitter.com/B01V2ic5Z6

2022-08-27 13:24:03
エンタメ放浪者 ウディ本舗 @woody_honpo

そもそも「脚本も絵コンテも描いて他にも口を出して監督じゃない」なんておかしな話(普通それは監督である)なのだが、宮崎駿にすれば、自分が原画チェックをしない監督作品などありえないのだろう。宮崎駿はやはりアニメーターで、自分がアニメートをコントロールしなければ自分の作品ではないのだ。

2022-09-06 07:29:16
エンタメ放浪者 ウディ本舗 @woody_honpo

逆に言えば、監督を近藤喜文に任せたなら絵コンテを描くなんて失礼なのだが「近藤喜文に自分と同レベルの原画チェックをやってもらうなら、絵コンテくらいは描きますよ」という発想ではないかと思う。 それくらい宮崎駿スタイルの原画チェック(長編アニメを自分色に染める)は重労働なのではないか。

2022-09-06 07:36:10
エンタメ放浪者 ウディ本舗 @woody_honpo

宮崎駿は「長編アニメを一本作ると全てを吸い取られて疲労困憊する。半年くらい休んでも元に戻らない」と話しているが、長編アニメの演出が大変とは言っても、普通そこまで疲れるとは聞かない。 宮崎駿のアニメ制作がなぜそれほど重労働なのか?と言えば、それは宮崎駿スタイルの原画チェックにある。

2022-09-06 08:52:54
エンタメ放浪者 ウディ本舗 @woody_honpo

「コクリコ坂」や「アリエッティ」といった「非宮崎演出の宮崎アニメ」と『耳をすませば』はどこか違う。明らかに差がある。 それは原画チェック(作画のコントロール)のレベルの差ではないかと思う。 この点で、宮崎駿と同レベルの(日常芝居においてはそれ以上の)仕事ができたのは近藤喜文だけだ。 twitter.com/woody_honpo/st…

2022-09-06 08:01:20
エンタメ放浪者 ウディ本舗 @woody_honpo

宮崎駿のアニメ制作において最も超人的で特徴的なのは「原画チェック」なのだが、それは外部からはよく分からない。 だから『耳をすませば』でその最も重要な部分を担った近藤喜文も、正当な評価をされない結果になってしまった。 『耳をすませば』は、ジブリファンにも「宮崎アニメ」と思われている。

2022-09-06 08:17:35
エンタメ放浪者 ウディ本舗 @woody_honpo

『耳をすませば』はなぜ近藤喜文作品なのか?は、実は宮崎アニメの本質にかかわる重要なポイントなのだ。 しかし、それは一般には理解されないまま「ジブリアニメの制作現場」の記憶が薄れると共に、忘れられてしまうのだろうか? しかし『耳をすませば』の繊細なアニメーションが消えることはない。

2022-09-06 08:32:42