『かつてそのゲームの世界に住んでいたという記憶はどこから来るのか』(郡司ペギオ幸夫)

関連論文を読んでみました。人を欺くのもいい加減にして欲しい。下水道で月桂樹の冠を被る人。3080円。境界知能を養分とする情報商材ビジネス。 迷っている学生に何か言わなくちゃいけないときは「そのどちらでもありそのどちらでもないかもしれない」という答え方をしておけば流せる――郡司ペギオ幸夫 潜在する評価: https://togetter.com/li/1972266
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moot @tomoquokua

さすが郡司ペギオ幸夫。「ほとんどの」理解が浅い。どれでもいいけど例えば赤線の文。ちゃんと分かっていれば書かない文です。もし書いても青線のようにはつなげない。緑線の文は、茂木健一郎が「もし娘さんが結婚相手に例のロボット(私のこと)を連れてきたらどうする?」とわざと振ったときに「絶対 pic.twitter.com/mXhin4DOEq

2022-12-02 10:41:47
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moot @tomoquokua

ダメだ」と強く否定して周囲から笑いを取ったことを思い出す。郡司の娘の学生時代の評判はNGワードで「ほとんどの」人がお断りの女でした。お父様、そんな女、「ほとんどの」人が嫌です。

2022-12-02 16:08:42
moot @tomoquokua

「外部はない」は悪魔の証明だからそこには文脈があったはず。「人間の意識はすべて計算可能である」もそうです。郡司ペギオ幸夫はセコイ。都合よく切り取って自分を上げている。

2022-12-06 05:56:57
moot @tomoquokua

主張を支える科学っぽい部分を専門外の人たち(ダンサー等)は当然「査読論文を通過しているみたいだし正しいってことで」と読み飛ばしますが、現実は査読者どころか共著者すら読んでないし内容も間違っています。これは領域横断の死角を利用した粉飾です。#郡司ペギオ幸夫

2022-12-06 11:16:11