乙武さんのツイートから、障害受容について改めて考えてみる
でも前に進んでるつもりが、後で考えてみたらとんでもない素っ頓狂な方向だったって事もありうるのよね。実際、あやしいサプリだの民間療法だのにはまってる人も、多分前向いてるつもりなんだよ。
2011-10-08 22:54:50.@cocorosh @wr_sola いまひらめいたんですが、受容を操作的にいうなら、障害への認識や介入に対する効果、予後などへの「自己認識」と「現実」とのずれの小ささなのかもしれない、と思いました。そのずれが大きい場合は、いろいろやってても「受容に失敗」になるんじゃないかと。
2011-10-08 23:01:01@sora_papa @cocorosh @wr_sola 横槍失礼します。「現実」じゃなくて、「現実から派生する未来」かなと思っています。現実の状態を理解していても「がんばれば平均に追いつく」ところから離れられない親御さんもいっぱいいます。
2011-10-08 23:04:35こんにちは。はい、そこの部分も、先のツイートでは「予後」に込めました。RT @riluask: @cocorosh @wr_sola 「現実」じゃなくて、「現実から派生する未来」かなと思っています。現実を理解していても「がんばれば平均に追いつく」ところから離れられない親御さんも
2011-10-08 23:38:05@sora_papa @cocorosh @wr_sola なるほど。そうすると、一定量の縦断的観察とその間のかかわり(定数化は不可能だけど)を加えたものが、操作的な「あるべき受容像」になればいいんですよね。これが、現実的には「専門職の専門性」っていうことになりますかね。
2011-10-08 23:51:32何か自己一致/不一致に近いイメージですね。そういう「ずれ」ならやりようによっては測定できるかもしれないですね。QT @sora_papa @wr_sola 受容を操作的にいうなら、障害への認識や介入に対する効果、予後などへの「自己認識」と「現実」とのずれの小ささなのかもしれない、
2011-10-08 23:11:28.@cocorosh はい。でもよくよく考えてみると、「受容できていない状態」って、要は障害を軽く見すぎたり深刻に考えすぎたり、療育の効果を高く見積もりすぎたりムダだと考えすぎたり、予後に悲観しすぎたり楽観過ぎたりすることだと思うんですよ。だから意外といい測定法かなあ、と。
2011-10-08 23:14:54KIDSとか質問紙の発達検査って親が記入するのと心理士が聞き取りをして評価するのとで結果が変わってくることがある。あれはある意味親の子どもの評価と第三者が見た評価との「ずれ」なんだろう。その「ずれ」が大きいと、園や学校やらで関わる他の人間と支援の考えの共有が難しくなるのかも。
2011-10-08 23:16:16.@cocorosh なるほど!単に、現状への認識だけをとっても、「ずれ」から何かしら(「受容」と呼ぶ必要があるかどうかは別議論)得られる知見があるかもですね。これは興味深いかも。
2011-10-08 23:18:04ただ二者間で「ずれ」があることと、どちらが「現実を適切に把握しているか」は別問題。検査だってそれなりに妥当性はあるけれども、限界もあるから。ただ、少なくとも、関係者の間で見方に「ずれ」があるということだけは確かなこと。
2011-10-08 23:20:59“@sora_papa: 横から失礼します。 確かに。途中から障害、最初から障害、どれにしても宣告されて最初はほっとして、それにしばられ、動いて失敗して考えて受け入れることですからね。
2011-10-09 00:11:25@sora_papa @cocorosh 療育の効果が目に見える形で出てる親のほうが楽観的(受容が楽)そうだなとは思います。ただ一般に親(素人)はこういう子がどう育っていくか見通しが立たないので、不安が募って、短気に療育の効果を求めがちかなとも思います。
2011-10-08 23:28:16そういえば療育園の頃、親と保育士(支援者)が別個に記入する検査があったんだけど、それについては「家では出来ているが園では出来ない」「園ではできるが家では出来ない」的な表現をされていたな。どちらかの見方が偏っていると指摘するのではなく、とりあえずそれぞれの目から見た像として考える。
2011-10-08 23:36:17その時やっぱり、園ではできて家でできないことってのは、構造化の問題だったり声がけが不適切だったり(つい漠然としたことを要求してしまうとか)みたいなことがあって、逆も家庭では特化して整備出来てる部分が園では多人数向けにするために端折られてたり、もあって、色々考えさせられたっけ。
2011-10-08 23:39:03話戻っちゃうけど、わたしの息子や夫への障害受容ってどうだったんだろう?夫に関しては、共有出来てると思ってたものが、実はそうじゃなかったってところで、物凄い衝撃を受けたけど…それだけしか覚えがないんだよね。フリーズしてただけかもしれないw
2011-10-08 23:43:43でも、ネットや本漁って情報仕入れて、検討して、何か作り始めたり…っていう過程で、気がついたら別に何もなくなってないことに気がついた。なくなったんじゃなくて、最初からないものを勝手にあると思い込んでただけ。でも「ない」ばっかりじゃなく、思いがけない「ある」も見つけた。
2011-10-08 23:47:01ありますよね、これ。場によってできたりできなかったり。あと、親が見てるとできる/できない違いがあったり。色々ヒントもらえますよね。 QT @wr_sola 「家では出来ているが園では出来ない」「園ではできるが家では出来ない」的な表現
2011-10-09 00:04:13そうなんです。あと、やっぱり「親の欲目」も如実に反映されてましたw重要なのは、それをどう支援に結びつけるか、ですよね。 RT @maymay39: ありますよね、これ。 QT 「家では出来ているが園では出来ない」「園ではできるが家では出来ない」
2011-10-09 00:06:32期待してたものが最初からなかったと思うと切ないですね。自分はその「期待を裏切った」側なので、ダンナには気の毒だったな… QT @wr_sola なくなったんじゃなくて、最初からないものを勝手にあると思い込んでただけ。でも「ない」ばっかりじゃなく、思いがけない「ある」も見つけた。
2011-10-09 00:08:20いや、多分お互い様なんですよ。障害に限らず、対人関係である程度親しくなってくるとこういうことって往々にして出てくるんじゃないかな。 RT @maymay39: 自分はその「期待を裏切った」側なので、ダンナには気の毒だったな… QT 最初からないものを勝手にあると思い込んでただけ。
2011-10-09 00:10:57夫との場合は、そりゃまあ一応恋愛を経て結婚してるわけで、それなりにああしたい、こうしたいと夢は持ってて、当然夫と共有出来てるものと思ってたさ。でもそれがフタを開けてみたら、実は夫はそんなこと全く眼中になくて。そのぐらいの行き違いは、多分どこの夫婦にでも多かれ少なかれあるはず。
2011-10-09 00:15:19ただうちの場合は、そこに『発達障害』っていう概念が突然出現したもので、お互いに面食らって、しばらくナニソレ状態が続いたwけど、結局、障害があったって(それとわからないままで)ここまでやってこれたっていう実績が、夫が自己評価を回復するのにはよかったんじゃないかな。
2011-10-09 00:20:31@wr_sola うう、そういっていただけるとありがたいです… 相手に通じるような行動、言語に翻訳するという歩み寄りの努力はしてるつもりですが、それでもなかなかツーカーといかない寂しさ?は解消されないのだろうな、とは想像しています。
2011-10-09 00:28:48