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nekotohanasu
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正岡子規の「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の元ネタが、夏目漱石だと知って驚愕してる。 pic.twitter.com/CmsaeFF1xO
2022-12-04 20:00:41
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柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」(かきくえばかねがなるなりほうりゅうじ)は、正岡子規の俳句。生涯に20万を超える句を詠んだ子規の作品のうち最も有名な句であり、芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」と並んで俳句の代名詞として知られている 。初出は『海南新聞』1895年11月8日号。 季語は柿(秋)。「法隆寺の茶店に憩ひて」と前書きがある。法隆寺に立ち寄った後、茶店で一服して柿を食べると、途端に法隆寺の鐘が鳴り、その響きに秋を感じた、というのが句意である。「くへば」は単に「食べていると」という事実を述べて下に続けてい
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正岡子規
正岡 子規(正岡 常規)(まさおか しき、〈まさおか つねのり〉、1867年10月14日〈慶応3年9月17日〉 - 1902年〈明治35年〉9月19日)は、日本の俳人、歌人、国語学研究家。名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改めた。 俳句、短歌、新体詩、小説、評論、随筆など多方面にわたり創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした、明治を代表する文学者の一人である。 伊予国温泉郡藤原新町(現・愛媛県松山市花園町)に松山藩士正岡常尚(?〜1872)と八重(184
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夏目漱石
夏目 漱石(なつめ そうせき、1867年2月9日〈慶応3年1月5日〉 - 1916年〈大正5年〉12月9日)は、日本の教師・小説家・評論家・英文学者・俳人。本名は夏目 金之助(なつめ きんのすけ)。俳号は愚陀仏。明治末期から大正初期にかけて活躍し、今日通用する言文一致の現代書き言葉を作った近代日本文学の文豪の一人。 代表作は『吾輩は猫である』『坊つちやん』『三四郎』『それから』『こゝろ』『明暗』など。明治の文豪として日本の千円紙幣の肖像にもなった。 講演録に「私の個人主義」がある。漱石の私邸に門下生が集ま
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驚き!

うおー、知らなんだ。友情。つか、なんで漱石の方は有名じゃないのか。 twitter.com/kaiyonaha478/s…
2022-12-04 21:12:13建長寺は北鎌倉にあるお寺です!
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巨福山 建長寺
北鎌倉 鎌倉五山第一位「臨済宗建長寺派 大本山 建長寺」|巨福山 建長寺
北鎌倉にある建長寺公式サイト。鎌倉五山第一位の臨済宗・建長寺派の大本山で、国の重要文化財に指定されている総門・山門・仏殿・法堂・方丈が一直線に並ぶ伽藍配置が残る。
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本歌取
本歌取(ほんかどり)とは、歌学における和歌の作成技法の1つで、有名な古歌(本歌)の1句もしくは2句を自作に取り入れて作歌を行う方法。主に本歌を背景として用いることで奥行きを与えて表現効果の重層化を図る際に用いた。 例えば、 この、2作品を比較すれば明らかなように、貫之は額田王の第1句・第2句をそのまま採用して第3句以後を自作としている。 こうした本歌取については様々な受け取り方があった。六条藤家の藤原清輔はこれを「盗古歌」(こかをとる)ものとして批判的に評価した。これに対して御子左家の藤原俊成はこれを表現
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漱石と子規の友情...
生前、子規と漱石は交流が深かったんですね。
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soseki-museum.jp
正岡子規 -漱石を取り巻く人々--新宿区立漱石山房記念館
新宿区立漱石山房記念館の公式サイトです。夏目漱石が生まれ育ち、その生涯をとじたまち新宿区に、漱石生誕150周年にあたる平成29年9月24日、漱石にとって初の本格的記念館が開館しました。

@kaiyonaha478 @cecile_docile_ 昔、『歴史秘話ヒストリア』でやってて知りました。2人の友情を物語る句ですね。
2022-12-04 22:14:39
@kaiyonaha478 @paotongzi 漱石ってペンネームは 正岡子規がつけたんでしょ。 いい友人だったってこと
2022-12-04 22:20:40