三国志 官渡の戦い

官渡の戦いは、『三国志』の文面から受ける印象とは大幅に異なる真実を史書に垣間見せている。 戦いはどのように推移したのか、曹操は袁紹はどのように戦ったのか、劉備の位置付けは、于禁の延津における意味とは、そして勝敗の真因はなんだったのか。
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Jominian @Jominian

武帝紀を読むと、曹操は官渡で勝利した後に睢陽渠を修理している。これは興味深い。睢陽渠を壊したのが曹操だとすれば、彼は済水から睢水に入られ、陳、梁の辺りを荒らされる事を懸念していた事になる。烏巣から浚儀を経て、劉備らの為の支援正面を形成しようとしたのではないか?

2011-10-09 13:23:55
yunishio @yunishio

@sweets_street @Jominian そもそも淳于瓊は物資を「何から」守ろうとしたのか、ということを考えてみる必要があると思うんですよ。曹操の脅威はもちろんのこととして。個人的はもっと後方へ目を向けたいです。

2011-10-09 13:23:58
お菓子っ子 @sweets_street

@yunishio 去就の怪しい連中というのは、ちょっとしたきっかけで混乱して寝返るものですから。曹操が降兵を坑殺したのもこの機に信頼できない兗豫諸将の兵力を破壊する目的だったかもしれません

2011-10-09 13:25:22
yunishio @yunishio

@sweets_street 大いにありうると思います。オレもその可能性は考えてるんですが、それにしてはそうした動きが史料にまったく残されてないので、なかなかこれと決めるわけにもいかず。それに袁軍瓦解のきっかけが冀州人の張郃によるものであることも考慮に入れると、いささか…。

2011-10-09 13:27:43
yunishio @yunishio

張郃とともに降った高覧が、東平の高翔と同族だとかで兖州人かもしれんけどね。

2011-10-09 13:28:39
お菓子っ子 @sweets_street

@yunishio @Jominian 袁紹は黄河南岸に浸透することで兗豫諸将を味方に付けたので、逆に曹操が冀州諸将に浸透することを恐れていたのかもしれません。冀州諸将が信頼できないのは、公孫瓚との戦いで簡単に去就を変えたことや、官渡での敗戦後に蜂起したことから想像できます

2011-10-09 13:29:08
yunishio @yunishio

@sweets_street その点も考えかた一つで引っくりかえってしまうんです。少しでも優勢なほうにすぐ寝返るということであれば、官渡に勝利した曹軍を利するものであって、これを殺したらかえって必死の抵抗を被ることにもなりかねないですので…。

2011-10-09 13:31:04
Jominian @Jominian

曹操は比較的自由に行動できたが、それは官渡以南に限定されるのではないか?烏巣を奇襲する際は、曹操は敵地の真ん中を通り、詐術によって切り抜ける事で烏巣に到達している。それでも夜明けまでに察知され、袁紹に援軍派遣を許している。袁紹はこれを更に圧縮しようとした。韓猛の敗北で懲りたなど嘘

2011-10-09 13:34:56
お菓子っ子 @sweets_street

@yunishio 張郃も袁紹陣営においては浮動票だったと考えれば良いのでは?成り行きで従っただけですし、節義で動く人でもなさそうです。目の前の城が落ちない中で情報が錯綜している状況。さほど忠誠心があるわけではない張郃が不安になって降ったとしても無理は無いように思います

2011-10-09 13:35:34
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