『機動戦士Ζガンダム』感想

私的メモ
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精神現象学上 (平凡社ライブラリー)

G.W.F.ヘーゲル,樫山 欽四郎


最終決戦(カミーユ対シロッコ):俺の身体を皆に貸す

河樹 彬 @e_rewhon

次に、もう一つの最終決戦。カミーユ対シロッコ。「なぜ二人が憎しみあうのか」はいまだに謎なのだが(ひとまず近親憎悪・自己否定だとしておこう)、その点を措けば、あそこで「何が起きていたのか」はきわめて明快だ。

2022-12-18 21:58:07
河樹 彬 @e_rewhon

一見超能力合戦にも見えるが、Zにはスピ的な要素はほとんどない。あそこで動いているのは、バイオセンサー(BS)という不完全なサイコミュ装置だけだ。二人はともにBS搭載機、つまり脳波で直接機体を制御できるMSに乗っていた。カミーユはシロッコ機をジャックし、シロッコの自由を奪う。

2022-12-18 21:58:08
河樹 彬 @e_rewhon

ただし、第47,48話が描くように不完全なサイコミュには副作用がある。入力された搭乗者の記憶を、あたかも亡霊のような形で見せる。カミーユを通じて亡霊同士が語り合うような場面があるが、BSが一次データ(カミーユの無意識)からモデリングした幻影を、彼自身に見せていると考えるのが普通だろう。

2022-12-18 21:58:08
第47話 宇宙(そら)の渦

富野由悠季,株式会社サンライズ,池田秀一,飛田展男,岡本麻弥

第48話 ロザミアの中で

富野由悠季,株式会社サンライズ,池田秀一,飛田展男,岡本麻弥

河樹 彬 @e_rewhon

この光景はシロッコにも見えている。つまり両機のBSを介して二人の精神はリンクしてしまっている。シロッコはこれを利用して、最後の攻撃を仕掛ける。殺される瞬間に、カミーユの精神めがけて直接否定的なものを流しこむ。この精神攻撃によりカミーユは"一撃で"崩壊する。

2022-12-18 21:58:09
河樹 彬 @e_rewhon

(余談だが、小説Zでは以上全てが逆になる。彼の精神は交戦前から崩壊(自閉)をはじめていた。アニメ版カミーユが「俺の身体を皆に貸す」事で壊されたのと対照的に、小説版カミーユはシロッコを含め、この世の全てにITフィールドを張る。「俺の身体を皆に貸す」事ができずに自壊する。)

2022-12-18 21:58:09
河樹 彬 @e_rewhon

以上のように整理すると、'85年当時でも古臭く見えていたZが、実は「テクノロジーによる身体の拡張(義体としてのMS)」「テクノロジーによる精神の拡張(電脳としてのサイコミュ)」といったサイバーパンク的テーマを正面から扱った作品だったとわかる。富野御大、おそるべし。

2022-12-18 22:03:04

身体を供する(死の贈与)

河樹 彬 @e_rewhon

『Ζ』~『逆襲』期の富野ガンダムの凄みは、アムロとシャアという異なるニュータイプ(NT)を描き分けたこと、いいかえれば「分裂気質で未来の徴候に敏感な技術屋」と「循環気質で死人に引きずり込まれがちな思想家」という二つの理想を描き、激突させたことにある…↓ >togetter.com/li/2006741

2024-03-10 16:27:34
河樹 彬 @e_rewhon

と以前書いた。だが、なぜシャア-カミーユは死人に引っ張られてしまうのだろう? シャアはアムロから「人身御供の家系」と茶化されているが、柄谷行人が『世界史の構造』で「供犠」について書いている箇所を読み返しながら、この?を思い出した。↓ >amzn.asia/d/2BW3G62

2024-03-10 16:27:34
河樹 彬 @e_rewhon

柄谷行人は《狩猟をするためには、世界への態度を「我─汝」から「我─それ」へと切り替えなければならない。その切り替えが、いわば供犠としてなされる》という。現代社会は「我─それ」関係で構成されている(ゆえに"分かりあえない"問題も発生する)のだが、NTはそれを革新する。↓

2024-03-10 16:27:35
河樹 彬 @e_rewhon

何に? 「我─汝」に、と考えるべきだろう。これにより"分かりあえない"問題は問題自体が消滅する。少なくともシャアやカミーユはそう考えていた筈だ。ただ、生死の絡む場でNT的認知を続けるとパンクする。供犠のロジックにより「我─汝」を「我─それ」に再変換せねばならぬ。↓

2024-03-10 16:27:35
我と汝 (講談社学術文庫)

マルティンブーバー,野口啓祐

河樹 彬 @e_rewhon

柄谷氏曰く、供犠は贈与による脱霊化によって、自然を対象化(それ化)する。《供犠とは、贈与によって自然の側に負債を与え、それによって自然のアニマを封じて「それ」へと切り替えることである》。↓

2024-03-10 16:27:35
河樹 彬 @e_rewhon

カミーユはシロッコを「それ」化して死者達のもとに放逐する。最期の一撃がオカルト攻撃ではなく、徹頭徹尾"肉体的・物理的"打撃(所謂スイカバー)として描かれている点に注意せよ。シロッコは死の間際「貴様の心も一緒に連れていく」と呟く。それはお返しにカミーユ自身を「それ」化することだ。↓

2024-03-10 17:33:08
河樹 彬 @e_rewhon

『Ζ』最終話は「戦争の中、敵を人間(汝)と見ることができなくなった末、心が死ぬ」といった事態を呪術的-主観的に表現したもの、ともいえよう。彼は「我-汝」が全面化した世界に自己を捧げることで、「我-それ」が全面化した世界に帰還したのだ、とも言える。それは「普通の人達」の日常だ。↓

2024-03-10 17:33:08
河樹 彬 @e_rewhon

カミーユの「崩壊」を単なる悲劇と呼べないのも、この点だ。第1話から過敏すぎる「我─汝」認知によって自他を傷つけてきたことを知ってる身としては、ようやくカミーユが見せてくれた子供っぽい笑顔に、一体何を思えばよいのやら…↓

2024-03-10 17:33:09
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