構築される社会とその変更
- tiago_pump
- 1350
- 0
- 1
- 0
つまりフェミニズムは良くも悪くも「運動」ということなんだろうな。「運動」だからああいう言説になるし、それに「理性的な対話」という態度で臨む人は論理等に不快感を覚えざるを得ないこともあるけど、抑々その活動が「運動」という形態をとらざるを得ないこと自体に注意を払うべき何かがある。
2011-10-17 18:40:18普通にリベラルな態度の人間だったら「(狭義の)当事者が異議申立てをしてないのに外部から介入するな」で終わる話なのに、それで終わらない/終わらせない/終わらせるべきでない、と考える人がたくさんでてくる理由。
2011-10-17 18:43:58「ミスコンに自分の意志で参加しているひとがミスコンで品定めされていること」に「同じ女性であるということを除けば外部に位置する女性」が「私(の一部)が評価されてる」と感じて当事者性(の一部)を獲得して事態に介入できるか、ということだと思うけど、例えば、
2011-10-17 19:00:05「自分の意思でテレビに出ているオタクが芸能人に非リア度の品定めをされている」番組をみて「同じオタクであるというだけで外部のオタク」が「私(の一部)が評価されている」と感じて当事者性(の一部)を獲得して事態に介入することを考えると、これはネットの人はわりと支持するような気がする。
2011-10-17 19:01:59@mixingale う・・うーん、どうでしょう。私がその外部的当事者性を獲得出来ていないからこう感じるのかもしれませんが、「わざわざ馬鹿にされに出て行くとは物好きな」という呆れる心情が先に立つので、番組を批判する気にはなりづらいかなあ。
2011-10-17 19:28:25@tiago_pump ぼくももちろんわざわざしゃしゃりでないと思いますけど、ネットではめっちゃ炎上しそうじゃないですか?そしてその炎上行為はメデイア/リア充という権力者への攻撃であるとして容易に正当化されそうな気がします。
2011-10-17 19:55:28@mixingale むう、その炎上風景もそんなにはっきりと浮かんでこない感じです。炎上・・するのかなあ・・まあ、番組の組み具合にもよると思いますが。「まあ確かに、これはひどい」という非リア具合だったら炎上しないというか普通に嗤って終わるかも。
2011-10-17 20:03:52@mixingale 今漸く気付きましたが、ミスコンとフェミニズムとの関係に対応するオタク側の例として違和感を覚えたポイントは炎上するか否かではなかったです。序列化の基準を押しつけられる事への憤りと、外部の序列化基準により集団丸ごとが劣位に置かれることへの憤りは違うのでは、と。
2011-10-17 20:24:04@tiago_pump そうですね。そこのあたり含めて完全に対照的な例示にはなってませんでした。
2011-10-19 01:47:40社会構築主義的な分析は「現にここにある社会」がほかでもありえた/ほかでもありえることを示してくれるけれども、誰かが『つくった』のではなく何故か『こうなっちゃった』秩序をどうやって変えればいいのかを何も語ってくれないから、改革の実践が「運動」的になる。
2011-10-19 01:58:42@mixingale モノと社会的表象がどうひもづけられているのかをあまり語ってくれないんですよね。モノの物理的性質はどう考えても一意ですが、それが何をどうしたら多様な意味として立ち現れるのかを捨象してしまってる。ActorNetworkTheoryはその辺頑張ってる感じです。
2011-10-19 02:00:35経済学を学び始めた抽象的な理由の一つは、社会の改革にあたってそうした実践の形態しかとれないのがいやだったことだ。社会の秩序のうちどの部分が人為的に介入できる部分で、その介入が結果的に自律的な秩序生成プロセスにどのような影響を与えるのかを分析できるようになりたかった。
2011-10-19 02:05:02@tricken そこでいう「モノ」と「社会的表象」っていうのは、非常に古臭い言い方をすると「下部構造」と「上部構造」みたいなもののことですか?
2011-10-19 02:07:21@mixingale 構造というより、まずは個々の対象ですかね。http://t.co/mC7qRXRZ
2011-10-19 02:18:30この『イエスという経験』 http://t.co/0fQfGXLsという本は、「イエスは三日後ぐらいに神の国が現れるとガチで信じてた。ガチで」という仮説の検証およびその仮説の下で、イエスの死直前の言動およびその前後の弟子の活動を分析した本なのだが、
2011-10-19 02:32:30なんか「社会構築主義という経験」まわりの話はこれと似たようなことが起きてる気がするんだよな。「今ここ」とは違う世界の可能性。その到来を前提とした現世の人々への批判。それが到来しないことへの絶望。その絶望を乗り越えるための言説の生産。救い。
2011-10-19 02:36:14@mixingale 僕はゲーム理論の初歩の初歩を教えていただいただけで、「ああなるほど、社会工学たらんとするもののうち、マニフェスト優先で動くものは大事なモノを見落としている事が多いな」という勘所が、〔知らない時よりかは〕ずいぶんつかみやすくなりました。感謝しています。
2011-10-19 02:40:27@mixingale 社会構築主義の「運動的性格」への内部批判としては、北田さんのこの研究動向レビューが参考になりました。http://t.co/AHBk5dG8
2011-10-19 02:43:06@tricken おお、社会学評論ってネットでダウンロードできるんですね。読んでみます。まあ当然内部でそういう自己批判はあるんですね。
2011-10-19 02:44:43