背広という言葉

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灰田かつれつ @Haidacutlet

幕末〜明治時代は混沌としていて、モーニングコートの裾を切り落としたようなスーツもどきもある(バックスタイルが背広とは全然違う)ので、たぶん明確に区別できなかったんだと思う

2022-12-16 21:55:34
灰田かつれつ @Haidacutlet

ここらへんの幕末〜明治の日本の紳士服の研究がいいかげんなので、そういう研究自体行われていなかったのかと思ったが、昭和中期ぐらいにはそこらへんが当時の偉い人にしっかり研究されていて、単純に知識が現代まで伝わらなかっただけらしい

2022-12-16 21:57:27
灰田かつれつ @Haidacutlet

昭和の終わりから平成にかけて昔ながらのテーラーさんが激減したので、服飾史も断絶してしまったものと思われる そのあとでファッションを語るようになった人たちは、縫う人というよりはデザイナーが多くて、印象論メインになったのではないかと思っている

2022-12-16 22:01:42
灰田かつれつ @Haidacutlet

自称服飾研究家を名乗る不審者なので、たまにはそれっぽい振る舞いをしておくと、これが中々重要な蔵書の一つで、明治40年に発行された紳士服のカタログ 展覧会でもあれば見せびらかしたいものだが、それはさておき… pic.twitter.com/mcmCYXbQ7o

2022-12-16 22:46:37
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灰田かつれつ @Haidacutlet

こいつは当時よくある百貨店のカタログとは一線を画するものでして… たとえばこの1ページには当時の紳士服の基礎を知る重要な情報があまりにも沢山詰まっている pic.twitter.com/2Gr9yTCNt0

2022-12-16 22:49:32
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灰田かつれつ @Haidacutlet

そのうちのいくつかに触れておくと… 背広という区分の中で折衿(テーラードカラー)か詰襟かが分かれており、当時は詰襟のことも背広と呼んでいたことがわかる まぁこれは当時の他の文献でも明らかなのでわざわざここで注目することもないのだが…

2022-12-16 22:52:56
灰田かつれつ @Haidacutlet

それよりも大事なのが明治の時点でチョッキなしの仕立てをやってることなんですよ 大正期には夏にチョッキなしで背広を着る人が増えてきて、既製服でもチョッキなしのものがあるのは知っていたけれども、それが明治まで遡っちゃうという

2022-12-16 22:56:00
灰田かつれつ @Haidacutlet

まぁこの頃は変わりチョッキも流行っていたので、それ用じゃないかという考え方もできるので断定はできぬ

2022-12-16 23:06:51
灰田かつれつ @Haidacutlet

岩倉具視がサビルロウのヘンリープールでスーツを誂えたのが背広の語源になった、というのは時系列的に考えておかしいので間違いですね 背広という言葉は幕末から使われているので…

2022-12-21 23:42:15
灰田かつれつ @Haidacutlet

そもそも明治中期以前は背広=スーツorテーラードジャケットではなかった、というのは当時の公文書を読んでてもわかるんですよ

2022-12-21 23:48:09
灰田かつれつ @Haidacutlet

ただこれも肉じゃが=シチュー説みたいなもので、“間違ってる世間の考え方を正したい‼︎”という努力は虚しいものなのかもしれない 世の中の一般人からすればこちらの方が陰謀論者のように見えているのだろうから…

2022-12-21 23:51:02
灰田かつれつ @Haidacutlet

まぁ淡々と発信していって、1人2人考えを新たにしてくれる人がいらっしゃったら、それで良しとすべきかもしれない 歴史はファンタジーとの親和性が異様に高いので、正しい歴史がどうこう言うと逆に胡散臭くなってしまう

2022-12-21 23:55:12
灰田かつれつ @Haidacutlet

そこへ行くと歴史テーマの創作物に対する指摘は野暮だという認識はあるので最近は努めて控えているものの… 他人の指摘が当時の状況から外れたものであると、それに対しては指摘に対する指摘といった形で結局一言申してしまうのでヨロシクナイ

2022-12-22 00:02:53
TL-83 @83_tl

@Haidacutlet ということはオールバックのみについての言及ではなく、ファイブシームからの変更(どちらかと言えばこの文献ではファイブシームについて言及している)が“背広”であると説いているのですね。

2022-12-22 13:12:17
TL-83 @83_tl

@Haidacutlet それに、オールバックについては確かにアメリカの1850年頃なシステムではサック型が掲載されてすぐの頃背縫い線が見られないものもあるものの。これが全てであったとは考えにくい。もともとファイブシーマにあったものをな無くしたわけだが1850年頃には背縫い線は復活し一般化しているようだ。

2022-12-22 13:28:37
TL-83 @83_tl

@Haidacutlet それに生地の取り都合もあるでしょうから、背縫い無しが広く一般化していたかということ疑問なのです。それを示す資料は何かご存じでしょうか?ボクはそこまでの調べには至りませんので興味があります。 何にせよ、こうした説をいきなり一つに断定することは難しいとおもいますね。

2022-12-22 13:32:46
灰田かつれつ @Haidacutlet

@83_tl この説についてはこの引用だけでなくて様々な文献から判断していますので、いずれ何年かあとに本にまとめて出版するつもりですから、楽しみにしていてください ただ、おっしゃるように差し込みの関係で綿や麻などで半幅のものは背中をワナで取れませんから背縫いが入ることもありますが、

2022-12-22 16:06:22
灰田かつれつ @Haidacutlet

@83_tl その場合でも振り込みはなく、単にツギになっていることに注意が必要です、ようは基点から裾線まで一直線になっておるわけです あとは欧米と本邦の事情は強い相関関係にありながら必ずしも同一ではないという判断にも至っております

2022-12-22 16:10:52
灰田かつれつ @Haidacutlet

@83_tl 取り急ぎ本邦の具体例をお望みということであれば、たとえば陸軍や警察の制服などは相当後の時代までこの構造を引きずりましたので、参考になるかと思います

2022-12-22 16:14:10
TL-83 @83_tl

@Haidacutlet ご丁寧にご返信ありがとうございます。 なるほど。灰田かつれつさんとしてはあくまで背広の語源背縫線の有無であると断定される訳ですね。

2022-12-22 16:31:59
灰田かつれつ @Haidacutlet

@83_tl 日本独自の事情としては、日露戦争くらいまでそもそも洋服が普段着として普及しておらず、洋服といえば制服だったので、公文書における表現がキーになる という点があります この点を踏まえて横断的に資料を照らし合わせると、背広の語源がサビルロウだとすると辻褄が合わない…というのが概略です

2022-12-22 16:40:59
灰田かつれつ @Haidacutlet

@83_tl あと厳密にいうとこの元の引用もグレーで、最終的には背縫い線の有無というよりサックコート型かサイバラ式かの違いでしかないと思います

2022-12-22 16:48:40
TL-83 @83_tl

@Haidacutlet また背縫いの振りに関しては、遡るほど縫い目があった場合でも限りなく少ないです。ので振り込みの線による判断は難しいと感じます。よって後期のオールバックとして紹介されるまで米州などのシステム等では背中心が直線であっても、それを縫製上縫い目を用いるか否かは言及されていなかったと思います

2022-12-22 16:35:40
TL-83 @83_tl

@Haidacutlet また、制服系は施中心線がなくともフロック型の様にサイバラが後方よりで背が狭いものがあります。 このあたりは同時に存在していると思いますが、そのあたりはどの様にお考えでしょうか?

2022-12-22 16:39:29
灰田かつれつ @Haidacutlet

@83_tl 背縫いの有無はサブ的な要素でしかないと思います

2022-12-22 16:49:10
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