国電型ダイヤの発祥と、中心街とバス会社の衰退について

民営化直前に国電型ダイヤがスタートしてたのは知ってたけど、その役目をバスが担っていたのは知りませんでした。
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梓弓 つばさ(年度末にアカウント削除) @Azusayumi_

@kotonoha_s @Tomominori_T ありがとうございます。なるほど、手荷物や貨物によるダイヤの制限が緩くなったという背景ですか。α列車は初めて知りました。国電化の時に二次交通の整備ができていたら…というのは本当にそう思います。

2011-10-21 11:00:13
@Tomominori_T

当然、鉄道やバスだけの話ではなくて店舗の魅力や郊外店舗などとの絡みはあるのだけど、あのときに多くの都市で「"中央"駅周辺<中心商店街」という構図が崩れたわけだから「立地条件」が変わったんだよね。都市内交通があるor駅と中心部が近い町と、それがない都市では見事に差が出てる気がするし

2011-10-21 11:02:25
@Tomominori_T

@high_island_exp @kotonoha_s @Azusayumi_ ミニエコーはまさに名残ですよね。ちょうど国電ダイヤを長野・松本で導入する直前に塩嶺トンネルができて枝線化したわけですし。

2011-10-21 11:03:54
せき のりかず @kotonoha_s

@Tomominori_T @high_island_exp @Azusayumi_ 115系3連ベースの「エコー電車」に対して、単行ベースの短距離列車として「ミニ」エコーでしたよね。同じ県内でも、信越線はエコー電車だったけど大糸線は元から多頻度だったからか愛称なしでしたよね。

2011-10-21 11:08:37
@Tomominori_T

昭和50~60年代までは中心市街地では商店街にあるデパートやSCなどに併設されたバスターミナルや駅・駐車場(モータープール)から自宅へ帰っていたのだけど、国鉄の利便性向上によるバスの衰退、自動車の普及により中心部ではなく郊外や駅前が拠点になったというのは重要な要素だと思う。

2011-10-21 11:11:18
@toban_rwy

@Tomominori_T それはそうですよね。公共交通の利便性が高い都市は、求心力を維持できますから、中心市街地が元気ですよね。広島や長崎など・・・・。

2011-10-21 11:15:51
@Tomominori_T

交通というのは都市や地域の「ツール」であり、主因・直接的原因にはなり得ないのだけれど、都市の変化を考える時には無視できないと思う。中心部がダメになって駅前が栄えた土地や、両立ができてない都市などには影響が少なからずあったわけで。特に若年層の交通行動に与えたインパクトは大きいし

2011-10-21 11:19:11
@toban_rwy

@Tomominori_T 都市構造が変わってしまった後からでは、難しいということですよね。

2011-10-21 11:23:55
@Tomominori_T

都市構造というよりも、基本的には中心部の魅力に担保されますから、呼ぶときは魅力が強くないと…離れるときは交通を不便にすればすぐ離れますが(苦笑)  RT @toban_rwy: 都市構造が変わってしまった後からでは、難しいということですよね。

2011-10-21 11:37:29
@toban_rwy

@Tomominori_T あ、それはもちろんそうですね。魅力ある都心でなければ、交通だけ利便性を高めてもだめということですね。

2011-10-21 12:11:57