- mori_tatsuya
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@odg1967 なぜここにこだわるかと言いますと、odgさんは「見解の違い」と言う一方で「日常語においても…用いるべきではない」とも仰っているからです。 http://bit.ly/9bD39C
2010-05-12 22:21:41なるほど。そういう見解の相違だったんですね。 日常語においてなら、歴史的に考えて(RK)も常識的に考えて(JK)も、「直感」でよさそうだ、という直観を私は持ちますが。 RT @mori_tatsuya: @odg1967
2010-05-12 22:43:43「直観」は誰が作った訳語かなぁ。(「主観」の「観」とは対応しているのかしら。〈主観/主体〉という訳し分けは西田が始めた(or 流布させた)らしいですが。)
2010-05-12 22:45:15私は可能だと思います。feelingには「感覚・感じ・心象」など意味の幅があると思いますので。 RT @odg1967 確認ですけど、コウビルドの定義、「直感」と訳すことが可能でしょうか。ぼくは無理だと思うのですが。
2010-05-12 22:51:41@odg1967 また「直感」の広辞苑の定義「説明や証明を経ないで、物事の真相を心でただちに感じ知ること」は、コウビルドの定義に近い(同じではないものの)と思いますが、これはいかがでしょうか。
2010-05-12 22:56:05「これ」とは何でしょう…? RT @odg1967 これ、どこがおかしいのかわかりません。見解の相違ということで言いたかったのはまさにそういうことなので。
2010-05-12 23:05:01@mori_tatsuya 物事の真相を命題と捉えるなら、命題の正しさを感じるどいうことがよくわかりません。命題の正しさの思弁性は「感」に馴染まない。
2010-05-12 23:18:51そもそも私はintuitionの対象を命題的(思弁的)とは言っておりませんが… RT @odg1967 物事の真相を命題と捉えるなら、命題の正しさを感じるどいうことがよくわかりません。命題の正しさの思弁性は「感」に馴染まない。
2010-05-12 23:28:21@odg1967 図像やイメージ、ヴィジョンが浮かぶ場合はどうでしょうか。これも「命題的」とするなら話はまたややこしくなりますが。
2010-05-12 23:30:55@mori_tatsuya 広辞苑は「真相」、コウビルドは "something is true" ですね。コウビルドの方を念頭におくとして、命題以外のものを "something is true" と認知することってあるのかなと。「殺人イクナイ!」はOK、しかし形態の想起は?
2010-05-13 05:51:52@mori_tatsuya ああ、これ重要です。イメージの想起を「ちょっかん」と呼ぶことってありますか?広辞苑の「真相」だと何となくイメージの想起も含んでいる感じですが、コウビルドの"something is true" は単なるイメージの認知を含んでないような気がします。
2010-05-13 05:56:46@mori_tatsuya コウビルドの intuition の定義は、feeling を使っているけれど、「殺人イクナイ!」といった命題についての思弁的な認知についての説明なので、日本語の「感」は馴染まないというのがぼくの見解です。
2010-05-13 06:05:55@odg1967 「殺人イクナイ」は道徳的直観ではないでしょうか。他に、ある場所で「危険!ヤバイ!」と推論を経ずに直に感じ取ったり、説明書を読んでくどくど推論せずに「こうよ!」と除毛の正しいイメージを直に感じ取れるような心的状態もsomething is trueを指すのでは。
2010-05-13 08:08:50@odg1967 というわけで、something is trueは必ずしも「Xは真(偽、無意味、等々)である」という命題だけを指しているのではないと思いますが。
2010-05-13 08:13:53@mori_tatsuya 事例はすべて命題化可能です(「ここにいることは危険である」「ひとはこのように除毛すべきである」)。「図像やイメージ、ヴィジョン」を直に感じる事例ではない。しかも不確かですが、エビデンスもプルーフもありそうです。コウビルドの定義に該当する事例でもない。
2010-05-13 08:29:32ブロッコリーを茹でて食す。しかしこの議論、1930年代にJ・L・オースティンが開いていたの哲学会合のようだ。言語の用法やイメージを決着のないまま延々と議論する。
2010-05-13 08:31:51