ニーチェの学問的客観性批判について(主に反時代的考察より)

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タト @Leethoo_Tat

いつぞやの「ニーチェが学問において危険」というツイートに応じて。そもそもニーチェにとって「学問化」とは何であるか。それは「客観化のプロセス」であり、それ故に「実際に生きられた生から乖離していくプロセス」である。彼の「生の哲学」はこれと逆である。即ち生を何よりも規範的に優位に置く。

2011-06-25 03:59:13
タト @Leethoo_Tat

ニーチェは『反時代的考察』において、歴史主義ないし歴史的教養を「生の哲学」によって最初に批判した人である。彼がなぜ歴史主義ないし歴史的教養を批判したか。それは歴史的意識の情熱が歴史との関わり合いを「学問化」するからであり、生を病的にするものと見做したからである。

2011-06-25 04:07:28
タト @Leethoo_Tat

歴史主義が支配的であった時代において、「生の哲学」という非歴史的なものを、歴史的なもの[=生にとっての毒]に対する解毒剤として認めたニーチェの態度は、このころからして、歴史主義者からしてみれば無教養の侵入であり、野蛮への誘いのようにしか映らなかった。

2011-06-25 04:13:21
タト @Leethoo_Tat

逆にニーチェにしてみれば、歴史主義の学問化→学問的客観性の理想は生にとって危険なものなのである。歴史主義を例に出したが、ニーチェの「生の哲学」はこうした「学問的客観性」に対抗するものだということは特筆すべき点だと思われる。

2011-06-25 04:26:05
タト @Leethoo_Tat

もう一つ突っ込んでみると、ニーチェは歴史叙述の客観性を完全否定したわけではない。歴史叙述が「客観性」を名乗るのならば、「学問的客観性」ではなくて、それよりも相応しいものがあるとする。即ち芸術的衝動であり「詩学的客観性」である。いかにもショーペンハウアーの影響史の内にある者の謂だ。

2011-06-25 05:32:36
激戦区☆かわいこちゃん @shibufusky

@Lucifer_Gnosis 「客観性」の話、人類学の『文化を書く』論争で同じような論争がありますね。僕も初めて『文化を書く』を読んだ時には、「ああ、この本はニーチェの影響もあるんだろうな」とは思ったんですが。歴史記述ではなくて民族誌記述ですけど、ほぼ同じ話ですね。

2011-06-25 05:41:56
タト @Leethoo_Tat

ニーチェのことを書く上での日本語の不便。「学問的客観性」に対抗する「生の哲〈学〉」とか「詩〈学〉的客観性」とか言わなきゃならないところ。はからずも「救いなのは「音楽くらいだ」と言った丸山圭三郎と同じ見解に至った。>重圧の霊 ニーチェを再読すると丸山圭三郎の「円環の理」に導かれる。

2011-06-25 05:50:40
激戦区☆かわいこちゃん @shibufusky

@Lucifer_Gnosis ただ、そこで極端に詩学を突き詰めて、客観的描写なんてそもそも無理だから、いっそのことこっちで芸術的に民族誌を創設しちゃおうぜ?っていう研究者は、「サンキュロット」と呼ばれて批判されてますね。

2011-06-25 05:53:09
タト @Leethoo_Tat

@shibufusky これは興味深いですねw 「サンキュロット」ですかw

2011-06-25 05:54:04
激戦区☆かわいこちゃん @shibufusky

@Lucifer_Gnosis 厳密な「客観的記述」が無理でも、だからといって主観と美的感覚だけによって「文化を捏造して書く」のをOKにしよう、とまで言ってしまうのは開き直りじゃないかというのが、サンキュロットに対する批判の典型みたいですけど。

2011-06-25 05:55:01
タト @Leethoo_Tat

@shibufusky まあ、それはそうですよね…w

2011-06-25 05:57:50
激戦区☆かわいこちゃん @shibufusky

@Lucifer_Gnosis 記述の対象がそれなりに限定されてる社会学系では、結局極端なパースペクティブ主義には寄らないまでも、その批判と記述対象の文脈をできる限り大事にしてテクストを書いて、そのあとで初めて自分のトリップも許そう、というのが妥当なところになってるみたいです。

2011-06-25 06:02:31
激戦区☆かわいこちゃん @shibufusky

@Lucifer_Gnosis でも「サンキュロット」批判はいかにも社会学・人類学系で、表現に重きをおいたりするなら、同じにはならないですよね。その意味で、ニーチェの「詩学的客観性」がどういうものなのか、気になります。

2011-06-25 06:05:56
タト @Leethoo_Tat

@shibufusky 興味深い話、ありがとうございます。なるほど。だとするとニーチェの「詩学的客観性」は(これはアリストテレスから引っ張ってきているらしいのですが)「経験的真理などひとかけらもふくまれていなくても客観性を要求するのに相応しいもの」と言われてるので(続

2011-06-25 06:10:19
タト @Leethoo_Tat

@shibufusky http://twitter.com/shibufusky/status/84363925822509056こちらで仰っていた極端な事例も当てはまってしまうのでしょうね。でも全く経験的真理を含まないことが最善といっているかというと、ちと違うかもなと。

2011-06-25 06:12:50
激戦区☆かわいこちゃん @shibufusky

『文化を書く』は強力な「客観的民族誌」批判だとは思いましたけど、新鮮かと問われると、恐らくニーチェを少しでも齧っていたら、「二番煎じ」感が否めないんじゃないかと思ってたんですけど、アブラさんのTw読んでたら、やっぱり『文化を書く』は二番煎じだったんじゃないかなと思いましたね。

2011-06-25 06:18:09
激戦区☆かわいこちゃん @shibufusky

@Lucifer_Gnosis なるほど・・・。いやでも「サンキュロット」批判は、何れにしても描写する人々なりがいる人類学なら有効かもしれないのですが、それは人類学畑に有効なだけで、他の分野で、例えば表現や技芸に重きを置く価値観なんかに対して有効ではない気がしてます。

2011-06-25 06:23:53
激戦区☆かわいこちゃん @shibufusky

詩学的客観性・・・。語彙だけ見ても、詩学的主観性、ではないんですよね。それはそうか。でも今度、ニーチェ全集の索引からでも探してみますお。

2011-06-25 06:28:34
いぶりぃ @iwri

そういえば、昨日、エリーザベト・ニーチェの研究書のニーチェ文庫創立近辺のところを立ち読みしたら、シュタイナーのことが色々書いてあって面白かった。

2011-07-06 00:06:15