ベルリン封鎖vsベルリンエアリフト(大空輸作戦)

キーマンを中心に
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Bunzo @Kominebunzo

1948年にベルリンが封鎖された際に行われた大規模空輸作戦は「ベルリンエアリフト」として有名。けれども道路と鉄道がソ連軍によって封鎖されていたのに、なぜ空輸ができたのか。どうしてソ連軍は空輸を阻止できなかったのか。その辺りはあまり触れられることが無い。空の道はなぜ開いていたのか。

2023-02-18 07:07:39
Bunzo @Kominebunzo

その理由はベルリンへの飛行経路が封鎖前にソ連との交渉で厳格に規制され、往路、復路ともにコースが定められてその制限の中で行われていたことが理由。つまり厳しく制限されていたゆえに細かく文書化され、通行権が確立されていたのでソ連側も取り決めを反故にできなかった。陸路にはそれが無かった。 pic.twitter.com/yzOJaIyqj8

2023-02-18 07:07:39
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ソ連との交渉で成立していたベルリンへの飛行経路は幅が狭く、例えばC-54クラスの機体は少し航法を誤れば簡単にコースからはみ出してしまう。コースの外には空輸を妨害するYaK-9が飛んでいた。威嚇飛行は「地上攻撃訓練」の名目で実弾射撃を伴い、英輸送機との空中衝突事故まで発生する執拗さだった。

2023-02-18 07:07:40
Bunzo @Kominebunzo

そしてベルリンで使用できる飛行場はテンペルホフ空港と戦闘機用のガトー、大空輸作戦開始と共に建設を始めた大規模飛行場、テーゲル。シェーネフェルトはソ連軍が使用していた。空輸作戦は飛行場のキャパシティで行き詰まってしまった。この作戦の成否はテーゲル新設の成否にかかっていたと言える。

2023-02-18 07:07:41
Bunzo @Kominebunzo

規模と設備が貧弱な戦闘機用のガトーしか無い英空軍はハーベル湖を臨時基地として沿岸コマンドのサンダーランド飛行艇による空輸を開始する。鈍重きわまりない大型飛行艇を昼夜連続で狭い飛行経路から外れずに飛ばすのはかなりの難題だった。経路を外れれば侵入機と見做されYak-9が「襲って来る」。 pic.twitter.com/Mkt1IllRZX

2023-02-18 07:07:41
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ベルリン空輸は分単位の連続着陸、分単位の離陸といったとんでもないペースで実施された輸送作戦で、サンダーランドのような大型飛行艇の出る幕ではなかったけれども、背に腹は代えられない空輸量確保のために無理を承知で投入されている。何だか変な装備がついているのはこうした理由。

2023-02-18 07:07:42
Bunzo @Kominebunzo

ベルリンへ飛ぶ輸送機上から撮影されたYak-9。英輸送機との衝突事故の後、輸送機にP-47編隊が護衛についてソ連軍戦闘機を排除した。殆ど戦争だったのがこの輸送作戦。 pic.twitter.com/DSaCyd0rgQ

2023-02-18 11:02:31
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Bunzo @Kominebunzo

ソ連軍による封鎖開始後、ベルリンへの地上通行権を保障するソ連側との取り決め文書が必死で探された。けれどもそうした文書も取り決め自体も、どんなレベルのものですら存在しなかった。封鎖はこの曖昧さにつけ込んで開始されている。ソ連側に「ベルリン封鎖は可能」と判定した「知恵者」がいたのだ。

2023-02-18 21:00:34
Bunzo @Kominebunzo

よく誤解されるけれども、西側の封鎖対策が最初から空輸に主軸を据えていた訳ではなく、あくまでも根本的な解決策は地上輸送路の打通にあった。そのために鉄道では武装列車がベルリンに向けて出発し(阻止された)、アウトバーンを進む武装コンボイも本格的に準備されていた。

2023-02-18 21:15:11
Bunzo @Kominebunzo

武装列車はソ連側の臨検を実力で阻止し、列車内への侵入者の射殺を宣言した。しかし、線路上を走る列車は簡単に本線から引込線へと誘導されて停止、乗員は列車に籠城したまま数日を経て西側に引き返している。予想されたことではあっても、西側の認識は封鎖初期の段階ではまだ甘かったことがわかる。

2023-02-18 21:15:12
Bunzo @Kominebunzo

武装コンボイとは物資1000トンを運ぶトラック隊列が歩兵一個連隊と戦闘工兵隊を先頭にベルリンを目指す作戦計画で、アウトバーン上のソ連軍検問や阻止線を実力で突破してベルリンに到達し、地上輸送の実績を作り上げるというもの。事実上のアウトバーン占領計画だった。

2023-02-18 21:41:30
Bunzo @Kominebunzo

第二次世界大戦直前のアウトバーン網。計画は壮大だけれども、根幹となる線が形になりかけていた程度だったことがわかる。これを武装コンボイ作戦で打通し、膨大な輸送隊列が往復するとベルリンは西側占領地域とアウトバーン回廊で結ばれて孤島ではなくなる。それはそれで「大ごと」だ。 pic.twitter.com/g1t6pRpGCj

2023-02-18 22:02:11
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Bunzo @Kominebunzo

空路図のようなベルリンへの飛行経路が本当に設定されていたのか、と思う向きにはこれを見ていただきたい。図は現実に使われていた空路図を描き起こしたもの。オリジナルはこのように使われていた。 pic.twitter.com/OHuqYDu0V7

2023-02-19 08:22:53
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Bunzo @Kominebunzo

歴史を読む際に人物に焦点を絞り過ぎると「お伽話」になることもある。けれどもベルリン空輸は「人」によって成し遂げられた部分が大きい。最初に挙げるべき人物はあのルメイ。欧州空軍司令官として絶大な権力と発言力を持ち、即座に空輸作戦を開始した。ここで躊躇していたら空輸は後手に回っていた。 pic.twitter.com/B1uGcvinyq

2023-02-19 08:41:53
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弱体な在独米軍地上兵力で大戦終結以来の大兵力を維持していたソ連軍に立ち向かい、武装列車、武装コンボイを組織し、一歩も退かない強硬姿勢を堅持したのは在独米軍軍政長官クレイ。「ベルリンは見捨てない」「ソ連は戦争に踏み切れないし、準備も無い」との確信で本国も危ぶむ薄氷を踏んで勝利した。 pic.twitter.com/cgiSGBZGRV

2023-02-19 08:47:26
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Bunzo @Kominebunzo

前代未聞の大空輸作戦を実施面で支えたのはヒマラヤ越え空輸で名を上げた空輸エキスパートのタナー。「QC活動の権化」のような人物で格納庫に寝泊りする程の現場主義者にして理論家。異常な程の活力と合理的思考に加え「人がついて来る何か」を持ちスタッフにも恵まれた。ベルリン空輸最大の重要人物。 pic.twitter.com/xTaKFVtCa3

2023-02-19 08:55:28
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Bunzo @Kominebunzo

属人的な物語から距離を置く必要がある歴史の世界でも、やはり「人物」が関与する部分がある。ベルリン空輸は大雑把に言えば、この三人の異様なキャラクターが成功の鍵になっていた。 pic.twitter.com/L5mHXgIAWA

2023-02-19 09:00:28
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