映画よもやまばなし 3回目 作家主義って何だろ?
0.はーいchimumuだよ。今日は、映画でよく使われている用語で、なんとなくわかってるつもりだが実はよくわかんね、という言葉を説明しちゃおう。
2010-05-14 01:12:561.みんな作家主義って聞いたことあるかな? あるよねー、聞いたことは。じゃ、どういう意味か言えるかな。
2010-05-14 01:13:242.そう、作家主義とは、映画監督をピラミッドの頂点においた製作体制で、監督がやりたいことを最優先した映画作り、またはその体制のことをいいます。ってこれ全然ちがうからっ!
2010-05-14 01:13:593.てなぐあいに、作家主義という言葉が歪んだ解釈で流通してずいぶん経つが、今日はこの言葉をその由来から説明していくよー。
2010-05-14 01:14:134.まず、作家主義を標榜したのは、ヌーベルヴァーグの中心人物フランソワ・トリュフォーだ。トリュフォーが批評家時代に使った言葉で、以後ヌーヴェルヴァーグの態度を決定づけた言葉だと言っていい。では、ヌーヴェルヴァーグとはなんぞやというと、これはすんごく長い話になるので、別の機会にね。
2010-05-14 01:15:185.作家主義は原語では La Politique des Auteurs という。直訳すると「作家の政策」だ。英語だと、作家は author、政策は policy だね。これを作家主義と訳したのは飯島正という映画評論家だった。
2010-05-14 01:15:536.「作家の政策」を「作家主義」と訳してしまったことが、のちに多くの誤解を生むことになるんだけど、作家主義という訳語もある意味「なるほど」ではあるんだな、これが。
2010-05-14 01:17:007.フランソワ・トリュフォーに言わせると、映画監督には作家と単なる演出家に過ぎない奴がいる。深遠なる思想や人生観が見いだせるような映画を撮ってこそ、作家の名に値するのだ! ――って言ってるわけではない! それも全然違うからっ!
2010-05-14 01:17:468.では、なぜトリュフォーが作家主義を唱え始めたかというところから始めよう。実は作家主義という言葉は映画批評の方法論としてあったんだ。トリュフォーは映画監督デビュー前には「フランス映画の墓堀人」と呼ばれ辛口批評で知られていた。そして、その攻撃の矛先を良質な文芸映画に向けた。
2010-05-14 01:20:559.深くて味わい深い人生がにじむ文芸映画をバッサバッサと切っていったわけであるが、特に職人的な脚本家がシナリオを担当した名作に対して手厳しかった。映画の非常に大切な脚本という部分を職人に任せた奴は、映画の代表者(つまり作家)として値しないと罵倒した。
2010-05-14 01:22:0110.そして、よくできたストーリーにぶら下がっているような映画は「これはよい映画だにゃー」と誰もが思うような良質な作品であっても、ボロクソに罵ったわけである。これはある意味、ストーリーではなく、徹底的に演出によって映画を見ようとする批評の方法だ。
2010-05-14 01:25:0211.そして、ジョン・フォード、アルフレッド・ヒッチコックハワード・ホークス、オーソン・ウェルズのような、一見すると単なる娯楽作品を撮っている監督こそが作家なんだと叫んだわけである。
2010-05-14 01:25:3512.「え、なんで? ヒッチコックはライターに脚本書いてもらってるじゃん」という反論が当然予想されちゃうのであるが、たとえ脚本家がいたとしても、ヒッチコックやハワード・ホークスのような、その人ならではの演出が際立つ監督は作家の中の作家として崇めたんだ。
2010-05-14 01:26:5813.ヒッチコックとホークスが作家のツートップだ。一方。「お前なんか作家じゃねえ」と言われた監督の中には『禁じられた遊び』のルネ・クレマン、『天井桟敷の人々』のマルセル・カルネ等の超大物もいたんだが、この辺は遠慮なく徹底して叩いたのである。あー、オソロシ。
2010-05-14 01:28:2214.逆に、作家の称号を授けた監督の作品ならば、たとえそれが失敗作でも強引に擁護した。そう、作家主義というのは、作家の失敗作を救出する批評の方法論なんだ。ここがポイントだ。
2010-05-14 01:28:5415.ここんところを説明するのは飯島正の「マヨネーズ理論」が役に立つので紹介しよう。卵と酢と塩を混ぜて攪拌する。回転力が充分な場合、めでたくマヨネーズが出来上がる。これは成功作を指している。けれど、回転力が落ちた場合は、分子が分離し拡散してしまう。こっちは失敗作の例えだ。
2010-05-14 01:30:0616.しかし、そこに要素(作家性)は残っているはずだ。それを見ろ。作家性がない凡庸な監督が撮った出来のいい作品よりも、作家の失敗作の方が遙かに見る価値あるぞ、と主張した。トリュフォーはこう言っている。「作品というものはない。そこに作家がいるだけだ」カッコイイね!
2010-05-14 01:32:3817.こうして、いったん「あなた、作家ね」と認定された監督は、たとえ失敗作を撮っても「この作品には○○監督らしさがフィルムに深く刻印されている」なんて褒めてもらえるようになってしまった。どお、こういう文章、どっかで読んだことない?
2010-05-14 01:33:0818.また、仲間の作品をけなされでもしようものなら、ヌーヴェルヴァーグはその同志達がお互いを作家と認め合って共闘関係を結んでいたため、どんな屁理屈をこね回してでも擁護した。
2010-05-14 01:33:4619.蓮實重彦とその追随者達の「○○のような失敗作を軽々と撮ってしまうことができるほど素晴らしい」みたいな無茶な物言いを、chimumuは「暴走する作家主義」と呼ぶことに今決めました。
2010-05-14 01:35:3920.その作家性を解明しようと、トリュフォーはアメリカに渡ってアルフレッド・ヒッチコックに実に50時間もインタビューをした。それをまとめたのが、今や世界各国の映画学校で演出の教科書となっている『ヒッチコック 映画術』だ。
2010-05-14 01:36:5121.そして自分もヒッチコック流のサスペンスに挑戦し『黒衣の花嫁』を撮るのだけれど、ものの見事に失敗する。ここが映画の恐ろしいところだね。一筋縄ではいかない。
2010-05-14 01:37:0922.「あなたこそは作家の中の作家です」と言われたもう一人の監督ハワード・ホークス当人は「はあ、なんかフランス人がムツカシー言葉で褒めてくれてるみたいなんだけど、俺、あいつらの言ってることよくわかんねーから」みたいな態度だったらしい。
2010-05-14 01:38:1423.作家主義は、批評家と監督の共闘関係を築き上げることに成功したんだけど、同時に馴れ合いを生んでしまった。トリュフォーが作家主義を標榜してから50年以上が経って、この馴れ合いの関係だけが妙な具合に残ってしまっているような気がしてならないんだ、俺は。
2010-05-14 01:39:0024.作家主義的な批評の蔓延が、映画監督だけに映画を代表させ、脚本を異常に低く見てしまったこと、それによってフランスも日本も商業映画の力が落ちてしまったことや、作家と呼ばれる監督へ批評がすりよってしまい、批評が判断停止に状態に陥ってしまったことはかなり大きな副作用を残したと思う。
2010-05-14 01:40:52