ジャック=ラカン

ジャック=ラカンの構造主義的な精神分析
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@EmileLacann

そういうことは日常的に起こる。むしろほとんど本も読まない一般の人にとっては、象徴の世界こそ縁遠く、日々現実と切磋琢磨しながら学ぶのである。

2011-11-04 09:50:12
@EmileLacann

大工の入門者が経験を積むことを考えよ。ラカンは精神病を条件づける要因として、このことを見出した。またラカンは、人は、すべて世俗的な価値体系を脱すると思われる「死ぬ瞬間」にも現実が見えるのではないか、とも言っている。

2011-11-04 10:20:12
@EmileLacann

象徴界とは人間存在を根本的に規定する言語活動(仏:langage)の場のこと。また数学などもこれに含まれる。

2011-11-04 10:50:11
@EmileLacann

ラカンは言語活動によって形成される人間のつながりを大文字の他者と名づけている。これは自己と他者をつなげる共通の第三者としての言語を指している。大文字の他者も言語活動の一部であることから、象徴界に属するものとして考えられている。

2011-11-04 11:20:13
@EmileLacann

人は、胎児として子宮の内部に浮遊している状態では、言葉を持つ必要がない。だから言語活動は発生しない。さらに、生まれてからも原初の状態を象徴的にいうならば、乳児の口には母の乳房が詰まっている。

2011-11-04 11:50:11
@EmileLacann

これは乳児の必要をすべて満たしているから、言葉を発して何かを求める必要もないし、そもそも口に乳房が詰まっているから言葉の発しようもない。

2011-11-04 12:20:12
@EmileLacann

いっぽう、これは乳児にとっては全世界を支配しているかのような快楽の状態である。これをラカンは享楽(仏: jouissance)と呼ぶ。

2011-11-04 12:50:11
@EmileLacann

フロイトはこの象徴界や、以下に記述する想像界を幼児と母親の関係で分かりやすく説明している。

2011-11-04 13:20:12
@EmileLacann

幼児は最初の段階においては常に母親が存在するので(あくまで理論である)、言葉を喋らなくても何かを想像しなくても全てを満たされている。故にこの時点では象徴や想像は存在しない。

2011-11-04 13:50:11
@EmileLacann

だが、やがて乳児の口から母の乳房が去ると、そこに欠如(もしくは不在、存在欠如とも)が生まれる。欠如が生まれて初めて、乳児は母を求めるなり、乳を求めるなり、「マー」などと叫びをあげる。これは言語 - より正確には言語活動(仏:langage) - の発生である。

2011-11-04 14:20:13
@EmileLacann

言語は母親に何らかの欲求や訴えを伝えるために使用される。そこから自然と子供は象徴界、すなわち言語活動の使用へと参入せざるを得なくなる。

2011-11-04 14:50:11
@EmileLacann

幼児と母親の分離から、幼児は何かを訴えて母親を呼ばなければならないような状況に陥り、このような状態から幼児の象徴界=言語活動は形成される。

2011-11-04 15:20:13
@EmileLacann

こうした象徴的な意味での言語の発生は、人間が人間となるためにどうしても通らなければならない段階である。

2011-11-04 15:50:12
@EmileLacann

言語とは、人間が自分の頭に思い描いているもの、すなわち想像的なもの(仏:l'Imaginaire)を他者と共有しようとしたり、他者に伝達しようとしたりするために用いる象徴的なもの(仏:l'symbolique)である。

2011-11-04 16:20:12
@EmileLacann

もっと簡単に言えば、子供は母親に対して何かを訴えかける最初の方法として言語を使うのである。その言語は社会的に共有されているが故に大文字の他者であるし、またその言葉自体は象徴である。故に言語は象徴界のものであると言われている。

2011-11-04 16:50:12
@EmileLacann

一方、社会はさまざまな人間がせめぎあう場であるがゆえに、無数の掟・契約・約束事などでできている。

2011-11-04 17:20:12
@EmileLacann

こうした掟は、象徴的な意味では言語で書かれているわけである。たとえば、「不文律」や「黙契」といった概念ですら、人間が言語を持たなければ存在し得ない。

2011-11-04 17:50:12
@EmileLacann

また、掟を与えるのは象徴的な父である。ゆえに、上記の意味においては象徴界とは掟であり、父であり、言語であるといった図式が成り立つ。

2011-11-04 18:20:12
@EmileLacann

言語が掟や父であるという考え方は分かりにくいかもしれないが、簡単に言えば、私たちは社会に参入する時、その社会独自の言葉を使用して、それを駆使しなければ生きていけないのである。

2011-11-04 18:50:12
@EmileLacann

その根底には自分の欲求や要求や欲動が満足していないから、言葉を使って社会に参入しようとする意欲が実はある。

2011-11-04 19:20:12
@EmileLacann

この点は母親からの分離と父親からの脅しという二つの契機が必要であるが、言語によってでしか、私たちは社会や社会にいる他人に何かを訴えることはできないし、またその社会がそもそも欲動抑圧的であることを考えると、象徴界が掟であり、父であり、言語であるという図式も分かりやすくなる。

2011-11-04 19:50:11
@EmileLacann

想像界とは、たとえば「日常」「平和」「不幸」といった、人であれば誰しも漠然とイメージできるけれども、その正確な描写となると大変な労力を要するような対象と世界を指しており、かつわれわれが頭で思っているものを言う。

2011-11-04 20:20:12
@EmileLacann

母子関係の理論からこの想像界は求められる。幼児は初期状態では絶対的に母親がいなくならないから、常に満足した状態で居続けるが、母親がいなくなればその欲求不満を何らかの方法で訴えるであろう。

2011-11-04 20:50:11
@EmileLacann

その最初の方法が想像である。この時、幼児は母親が微笑んでくれたりおっぱいを差し出してくれるような光景を思い浮かべるわけである。

2011-11-04 21:20:13
@EmileLacann

想像界はラカンにおいては比較的分かりやすく、イマージュや表象の詰まった世界であると紹介される。

2011-11-04 21:50:11
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