笠井潔 講演会 「3.11とセカイ系」 まとめ
しかし、日本には、そういった一神教的な思想基盤がない。 だから、日本人は西洋の“科学”を、思想としてではなく道具として取り入れた。 #笠井潔講演会まとめ
2011-11-07 20:20:20そういった日本の科学に対する態度の浅薄さが、今回の原発事故によって浮き彫りになってしまった。 もちろん、原発事故を引き起こした直接的原因は天災だ。 しかし、原発事故への対応や、その対応の不味さによる事態の深刻化は人災だ。 #笠井潔講演会まとめ
2011-11-07 20:20:48特に原発事故に関する「ホースで水をかけて冷やす」「おがくずで亀裂を防ぐ」といった、いきあたりばったりな後手後手の対応は、明らかに近代西洋的(“科学”的)な態度ではない。 #笠井潔講演会まとめ
2011-11-07 20:21:50西洋の“科学”的発展を支えたものの1つに“エンジニアリング”という概念がある。理論や設計図に基づいて計画的に製作、運用していくことだ。 (これもまた一神教の大きな思想的特徴といえる。なにしろ神は世界をただ生んだだけではなく意図して設計したのだ!) #笠井潔講演会まとめ
2011-11-07 20:22:32しかし、日本の職人業界においては、理論とか設計図よりも、その場その場での対応が伝統的に重視されてきた。 例えば、大工さん達は、何もかも設計図通りに作るよりも、材料や立地条件に合わせて様々な工夫改変を加えたほうが、建物が長持ちする事を経験的に知っている。 #笠井潔講演会まとめ
2011-11-07 20:23:15こうした場当たり的な対応は、「エンジニアリング」と対比させて言うなら「ブリコラージュ」と言えるだろう。そういう現場主義が裏目に出てしまったのが、“3.11”での原発事故だった。 #笠井潔講演会まとめ
2011-11-07 20:26:11西洋的科学技術の結晶である原発を東洋的職人技術で運用しようとすることに、そもそも問題があったわけだ。 #笠井潔講演会まとめ
2011-11-07 20:26:27思い返してみれば、大日本帝国が太平洋戦争に、そしてその敗北へと突っ走って行ったのも、軍部を統制するべき政府に明確なプランがなく、陸軍の暴走を許してしまったことが──つまりエンジニアリング的価値観の欠如が──原因だったと言える。 #笠井潔講演会まとめ
2011-11-07 20:28:17太平洋戦争に限らず、満州事変やら盧溝橋事件あたりでも大日本帝国のブリコラージュ的な側面、つまり陸軍の暴走を顕著に見る事が出来る。 #笠井潔講演会まとめ
2011-11-07 20:31:13結局、戦後日本は生まれ変わったように見えたけれども、ある意味で一番根本的な所は、何も変わっていなかったわけだ。 #笠井潔講演会まとめ
2011-11-07 20:31:44そして、バブル崩壊。「生産力、技術力がなかった」という反省の仕方は、その意味では間違っていたと言える。 今回も、単なる復興では、また第三第四の崩壊を目の当たりにするだけだろう。日本の文化を見直していくことが今後の課題となっていくと思われる。 #笠井潔講演会まとめ
2011-11-07 20:32:12講演では時間の関係上、エンジニアリング崇拝っぽい感じで話が終わってしまったけれども、 笠井先生自身は、必ずしもエンジニアリングが無条件で良いと考えていらっしゃるわけではないようだ。 ただ、日本はあまりにもブリコサージュ的すぎるという指摘はしておく必要があるだろう、という話だった。
2011-11-07 20:34:13ちなみに、西洋側では20世紀以降、むしろエンジニアリング的思想に対する反省が始まっていて、それがポストモダンや創発主義などの流れに繋がってきているということもつけ加えておこう。
2011-11-07 20:34:42原発の暴走を止められなかった最大の原因は本当にエンジニアリング的精神の欠如だったんだろうか? 立地条件を考えず、津波で流されるような低地に予備電源電源の燃料タンクを設置し、それによって致命的な「電源喪失」を引き起こしてしまったのは、むしろブリコラージュ的精神の欠如に思える。
2011-11-07 20:35:22というわけで、僕もエンジニアリング的精神を手放しで喜んではいけないと思っている。まあ、纏めて言うなら、大事なのは設計者と現場のバランスと連携だと思う。先程も言った通り、西洋的科学技術の結晶を東洋的職人技術で運用しようとすれば、どこかに無理が生じることは目に見えているから。
2011-11-07 20:36:14個人的(セノにゃん的)には、エンジニアリングを主体とするのは「工学」であって「科学」ではない、科学の本質はむしろブリコラージュ的なものと考えている。 神の意図などを勝手に決めつけようとせず、まずその場に起こった現象を素直に受け入れて、そこから答えを出す。それが科学だったはずだ。
2011-11-07 20:37:10近代科学の始まりとなったコペルニクスの地動説が、(まあ宗教裁判の上では形だけ屈したけど)キリスト教会の権威に屈しなかったのは「法則の合理性」のためではない。 合理性だけに限って言うのなら、何百年も形而上学(つまり論理)的研鑽を積んできたキリスト教会側のほうが何枚も上手だ。
2011-11-07 20:38:08地動説を裏付けているのは「天体の観察によって集めた膨大なデータの集積」だったし、メンデルの遺伝法則は彼が何千何万という数のエンドウマメを観察してきたからこそ導きうる結論だったし、最近話題になった「ニュートリノは光よりも速い?」ですら、1万回以上の実験データに基づいている仮説だ。
2011-11-07 20:39:13科学が重視するのは、論拠ではなく証拠だ。科学理論の「正しさ」を裏付けるには論理的証明だけでは不十分であり、統計学的実証が必要不可欠なのだ。
2011-11-07 20:39:38確かに、科学理論を構築するのには、ある程度のエンジニアリング的な賢さが必要かもしれない。しかし、これまでの“常識”を打破して新たな科学的真実を明らかにしてきたのは常に、ブリコラージュ的な知──科学的に言えば実験/観測/統計的なデータの集積──に基づく新しい見地だった。
2011-11-07 20:40:24