【永久保存版】Zホールディングス会長・川邊健太郎 回想録〜【電脳隊】

Zホールディングス会長・川邊健太郎さんの回想録です。いったん完結しました。続編を希望する方は @dennotai まで!
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川邊健太郎 @dennotai

つまりは、完全にパッケージソフトウェア的であり、受動的であり、なにか面白いものを作るには、電波とか、紙とか、カセットとか、お金のかかる媒体物が必要で、個人でソフトを提供できるとは露にも思っていない価値観で大学生までを過ごしてきました。 そこで、94年のSFCで得たインターネット、ネットサーフィンの原体験に戻ります。これは上記のフジテレビ、少年ジャンプ、ファミコンとは対極の概念でした。 まずコンテンツはテキストベース、常に更新され続けていて、低クオリティで、フジ、ジャンプ、ファミコンのパッケージ的完成度の高さとは対極でした。 そして、その中身は極めて個人的なモノが多く、多様性が異常で、これまたフジ、ジャンプ、ファミコンの組織的に作り出されたであろう内容と、ある種の予定調和的定番感はそこにはありませんでした。 そして、世界各国からの発信があり、世界各国からのアクセスがる。双方向性を駆使して、それらの人との交流が可能でコンテンツとコミュニケーションがセットになっている点も全く異なりました。

2023-04-04 07:12:53
川邊健太郎 @dennotai

要するに、低クオリティではあるが、私が享受していた80年代ソフトには全くない特徴ばかりを備えていたが故に、脳に強烈な刺激が走ったのです。 そして、何よりもそれらの情報発信や収集が低コストで固定料金的に行える事も衝撃的で、ここに至り「これはメディア革命であり、メディアの民主化である」との直感に至りました。 (近しいサービスとしてNiftyなどのパソコン通信がありましたが、これは従量制的料金だった) 結果的には、94年当時のインターネットは、上記のようなメディア革命"のみ"が実現していただけで、その後に更なる技術の進化や門外漢の人たちの参入により、販売革命(EC全般)、金融・決済革命(オンライン証券、Peypel等)、コミュニティ革命(SNS、インスタントメッセージ等)、仕事革命(Zoom、AI等)へと連鎖的に社会を変えていく事になりました。 これは今後も"世界を大きく変える技術"、"マーケットが大きくなる技術"を考える上で参考になると思います。直近で言うと、いわゆるクリプト技術は、その技術的利用の難易度の高さと用途の広がりに限界が早くも訪れていますが、AIは何度かの技術的幻滅期を乗り越えつつではありますが、多くの人に簡便に、多様な用途で利用され始めているように思います。

2023-04-04 07:14:08
川邊健太郎 @dennotai

ちなみに、この"ネットコンテンツの低クオリティさ"は、今でも続いている潮流で、 現に私のこの稚拙な長文が少なくとも数千、数万の人に読まれていることがその証左だし、TikTokの超短尺投稿動画も既存の映像制作者達からしたら笑止千万な質だと思います。 でも、結局、発信者が知ってる人だったり、共感を覚える人が作った抵クオリティのものの方が、人は見る時間を使っている、、というのが現在のSNS全盛時代のコンテンツ感なのだと思いますし、実はそれはWebコンテンツ登場初期からそうだったという事なのです。 かと言って、既存メディアのコンテンツが全くダメになったり、低クオリティ化していったかというとそうでもなくて、単純に分化していっただけで、より高クオリティ化したり、世界観が壮大化、複雑化していって、マーケットを形成していったように思います。

2023-04-04 07:43:02

反応

川邊健太郎 @dennotai

はい、全国3千万の活字中毒の方々にヒマ潰しの材料を提供していきましょう! twitter.com/daijapan/statu…

2023-04-05 07:46:31

起業・初期

川邊健太郎 @dennotai

【起業・初期】 さて、いよいよ起業の話です! 94年にインターネットから絶大な刺激を受けた訳ですが、実際には大学生とTSUTAYAのアルバイトをこなす生活のまま、運命の1995年を迎えます。 この年、私に大きな影響を与える3つの事が起きました。 一つは、1月17日。大学2年下期の試験を受けに青学の厚木キャンパスに向かうべく早朝に起きたら「関西で大きな地震があった」とテレビのニュース。Yahoo!ニュースが登場するのはこの翌年なので、一旦、外出するとニュースは触れずにいたところ、厚木から東京に帰る私の反対車線が緊急車両だらけとなっており、家に帰ってテレビをつけたら神戸の高速道路が倒壊している映像が飛び込んで来ました。この時に日本で初めて本格的なボランティア活動が起きて、それをVネットというインターネットを使った支援活動がSFCを中心になされていました。現在、慶應の准教授をされているクロサカタツヤさんが学生で仕切ってて、なんか眩しかった記憶があります。 次に、春休み中の3月20日。その日もTSUTAYAで朝の4時までアルバイトをしていた私は午前中は爆睡していたのですが、ヘリコプターの音がうるさくて起き、やはりテレビをつけたら「地下鉄で何か刺激物がばら撒かれて、多数の人が倒れている」との報道が。私の地元の日比谷線恵比寿駅も止まっているとのことで、見に行ってみたら、物々しい服装の人たちが地下鉄入り口から入ってて、、そこから麻原彰晃が逮捕されるまでの2ヶ月弱の東京の緊張感は忘れられないものがありました。 阪神大震災と地下鉄サリン事件を目の当たりにし、「人って、ある日突然死んでしまう事もあるんだな」とこの時初めて自覚をしました。それぐらい、私がそれまで生きてきた冷戦構造下の日本は平和で安定的だったし、死が遠かった。そして、この1995年を号砲として、その後の日本も世界も今日現在まで平和で安定を見ている日々が殆どないという状況に突入しているように思います。

2023-04-05 06:02:22
川邊健太郎 @dennotai

そこで私が思った事は「思い掛けず死んでしまう事があるなら、あー、何かやらなきゃ!」という事。 今風に言えば「爪痕を残さねば」という事であったと思います。 しかし、やらない。。その年の夏も旅行とバイトに明け暮れてしまいました。そして、この年の3度目の"事件"は、11月23日に起きます。Windows95日本語版の発売がこの日で、この新型OSを待ち望む人たちで深夜の秋葉原がごった返して大騒ぎとなったのです。 この一つ前のWindows3.1が本格的なGUIを採用したOSであり(その前はMS-DOSのコマンドベースのOSだった。。)、Win95はマルチタスクとインターネットのブラウザが標準搭載されていた事がウリだったと記憶しています。今となっては、神話時代か化石時代の装備に思いますが、僅か28年前の話です。 この熱狂を見て、人とインターネットの距離が近くなる事を確信した私は「インターネットを使って何かやりたい!何でもいいからやろう」と決意し、企画書を書いて、青学の同級生達を誘って「電脳隊」という会社ごっこを始めることになります。

2023-04-05 06:03:51
川邊健太郎 @dennotai

電脳隊を始める前提として、スキル、仲間、資金という観点でどうだったのかを補足します。 まずスキルについては、当時PC業界の標準機となっていたPC/AT互換機、いわゆるDOS/Vパソコンを前年に購入していました。その前は高校生の時にPC9800シリーズを買っていたのが最後だったので、かなりの変化をしていました。ちなみに、マハーポーシャのオリハルコンIIという機種と迷った挙句、当時新興のPCメーカーであったDellのパソコンを購入して、ベッコウアメとISP契約をし、ネット接続が何とかできる程度のものでした。オリハルコンは買わなくてよかったです。。 仲間については、青学でサンバ隊という音楽というか文化祭のお祭り騒ぎ団体をやっていたので、そのメンバーの中でデキが良さそうなメンバーに絞って企画書を見せて誘いました。この時点では青学メンバーのみです。 資金については、私がアルバイトや自動販売機(の設置業を当時していた)で稼いだお金と例の親友の清水くんのお母さんからもらった10万円などを加えて40万円ぐらいで始めました。当時は有限会社でも300万円の資本金が必要で、結局、電脳隊が稼いだお金で登記するのは96年末となりました。

2023-04-05 06:04:37
川邊健太郎 @dennotai

創った会社(もどき)で何をしたかが重要です。 企画書にはパソコンを使ってコンテンツを作成し、それをインターネットに出して、コンテンツやサービスで儲けたい趣旨が書いてありましたが、そのスキルが全くなかった為、ひとまず、「パソコンとインターネットの取付けサービス」を始める事としました。私自身がまさにその前年にDOS/Vパソコンを購入してセットアップをし、モデムとパソコンを繋ぎ、モデムと電話線を繋いで、IP接続をするのにやたらに大変だったので、Win95以降のパソコン・インターネットブームで同じ様にパソコンの購入を検討したり、したけど難し過ぎてネット接続できない人がたくさんいたらから需要があったのです。 知り合い筋でパソコンの購入を考えている人たちから営業をして、何台もパソコンのセットアップとネット接続をしていきました。 ここで「起業は始められる事から始める。ニーズのある所から始める。」という発想で徹底的に、地べたを這う様にできたのは、ビジネスの基本を知る上でよかったなと思っています。

2023-04-05 06:07:00

起業・中期 1/3

川邊健太郎 @dennotai

【起業・中期 1/2】 まずは自分たちでも始められて、ニーズも明確にあった「パソコンセットアップ業」から、何とかしてインターネットを使って事業に移行したいとの願望はあったのですが、当時の青学3年生の面々では、絶望的にスキルが足りませんでした。。 そこで、インターネットとの出会いの地であったSFCの学生を仲間に誘おうという事で、電脳隊に参加してくれていた青学の先輩・乙訓さんと同じマンションに住んでいた宮下蔵太というSFC生を紹介してもらい、彼と共に学期中のSFCを訪れて、学食で様々な人に声を掛けて仲間探しをしました。 そこで出会ったのが、のちに(有)電脳隊の初代社長となる田中祐介と、同じく取締役となる佐々木大地でした。二人ともSFC生でありながら、三菱総研でリサーチャーやコンサルタントも務めていて、JAVAも書けて、何だか同じ日本の大学生とは思えない感じで、こちらが萎縮していたら、「プログラミングとか技術よりも、インターネットを使って何をしたいのかの方が遥かに重要だから、手伝うよ」と爽やかに言ってくれました。 本当は、ネット上で何をしたいかも定かではなかったのですが、、とにかくまあ、「コンテンツの青学、技術(と戦略)のSFC」という役割分担でよりインターネット上のビジネスにシフトしていく陣容ができました。 (写真は初期の電脳隊メンバー。青学と慶應SFCの混成メンバー。会社というよりかは大学のサークルに近い感じだった)

2023-04-06 06:52:35
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川邊健太郎 @dennotai

ちなみに、この後、思ったほど"技術のSFC"ではない事が発覚して(笑)、より高度なエンジニアを求めて、東大工学部の学生達とのジョイントを行うのですが、こういう人の取り込み方は、私が青学の内部進学生で、中、高、大学と常に外部からの優秀な人財と仲良くなり、学業という面ではそれらの人に依存しながら何とか進学していくという生存術が身体に染み付いていたが故に、何の躊躇もプライドもなくそういう事ができた、というのが大きかったと思います。 個人の時代、何でも自分でできる事も重要ですが、思いっきり人に頼れる事も、何かを成す上では大事な気が、振り返るとします。

2023-04-06 06:56:31
川邊健太郎 @dennotai

さて、青学生に加え、SFC生や東大工学部の学生を仲間に引き入れた電脳隊がどんなビジネスにシフトしたのかと言うと、簡単に言えば「企業や人のホームページを作る」という仕事を受注して納品する仕事をするようになりました。 受注仕事は今でこそスタートアップは"最もやってはいけない事"な訳ですが、当時の日本にはそもそもインターネットのスタートアップなんていう概念がまだなかったですし、VCはほぼJAFCO一社のみで、リスクマネーの考えもほぼなかったです。(ましてや学生ベンチャーには) それでいて、インターネットの爆発的な普及期に差し掛かりつつあったので、自社サイトを持ちたい企業はごまんとあって、それを受けれる既存の組織はほとんどない、という状態でした。 仕事は祐介らが働いていた三菱総研のクライアントを皮切りに方々、みんなでいろんなネット系の会合に出掛けては人脈ベースで仕事を取っていきました。ソネットさんとは、定期的なWebマガジンを共同で運営させてもらうなどしました。 96-97年頃にNTTアドさんから、「学生ベンチャーを集めたオフィスを無料で提供するので入居しないか?」と誘われて恵比寿のネオナートという駅ビルにサテライトオフィスを持つに至りました。 (本社は、"ナウルマンション"という私の祖母が所有していたオンボロマンションの一室に登記してました) 今で言うインキュベーションオフィスのはしりで、同居社は、CoHeyという東大の学生ベンチャーで、高島宏平という同学年の学生が社長をしていました。彼は卒業後、一度就職してその後、再度CoHeyのメンバーを中心に起業して、その会社はいまやオイシックス・ラ・大地社となって、生鮮ECの雄となっています。こちらはYahoo!となり、あちらはオイシックスと、このインキュベーションオフィスはままあな成果を出したと思います。(但し、NTTさんとは全然絡めなかった)

2023-04-06 07:02:35
川邊健太郎 @dennotai

NTTアドさんからもたくさんのキャンペーン系の仕事を頂きました。 が、我々の未熟さが尋常ではなく、一度判をついた見積もりの金額を平気で変えて怒られたり、キャンペーンサイトのアクセス数を少しでも上げたいばかりにHTMLのメタタグに卑猥な言葉を入れまくり、それのタグを閉じ忘れた結果、クライアント様がプリントアウトをしたら、あられも無い言葉の数々がそのキャンペーンサイトに表出されてしまい、、劇的に怒られて始末書を書いたりと、本当にダメ過ぎる学生ベンチャーと根気よく付き合ってくださいました。あの頃の事を思うと、いまでも穴があったら入りたい気持ちになります。。 この辺りはDeNA創業者・南場智子さんの「不格好経営」を読んで異様に共感を覚えたように、初期のインターネット・スタートアップはみんな同じような感じだったのかなぁーと。 (写真は、本格的なシステム開発会社となるに従い、人数が絞れ、会社ぽくなってきた電脳隊時代にメンバー。熱海に社員旅行に行った際。東大工学部生の黒田和道、春日和之もジョインしている)

2023-04-06 07:21:15
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川邊健太郎 @dennotai

そんなダメダメな学生ベンチャーでも、仕事がいくらでも取れていた時代に暗雲が立ち込めます。 97年ごろになると、富士通が"ソリューションビジネス"と言ったり、IBMが"eビジネス"と言い出したりし始めたのですが、要するに電脳隊がやっていた「人様のホームページを受注して作る」という同じ事を大企業がやり始めました。 我々は学生のみでやっていたベンチャーでしたので、経営ノウハウがあまりなく、「学生なんだから」という理由で、大学院大学のグロービスが発行してきた「MBAマネジメントハンドブック」という教科書を見てその当時、経営をしていました。 (その結果、学生にしては、妙に合理的な経営が出来ていた気がします) その教科書の最初に「ビジネスは常に競争である。競争には2種類しかなくて、価格競争戦略(規模の経済)か、差別化競争戦略のみである。」という趣旨の事が書かれています。 電脳隊がいま業としているものは、上記の価格競争戦略の典型例であり、受注の規模を広げて価格を落としていく事が競争優位の作り方であると書いていました。 ここに至り、いままでは学生ベンチャー、世の中の大人が知らないインターネットの事を知っていると持て囃されていた我々から、どんどん受注と雇用を増やし、でも受注単価は落としていき、青色吐息な中小企業のオッサン、みたいな将来がリアリティを持って、焦りを感じだしました。

2023-04-06 07:25:03
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川邊健太郎 @dennotai

そこで、「とにかく差別化競争戦略の方に切り替えなければ!」と当時10名ぐらいいた社員皆んなで相談して出して考えが、図ののうな構想です。 コンテンツのDBはServerサイドに一つで、出し先はユーザーのニーズ次第でマルチデバイス。コンテンツの入力もコーディングは不要でフィールドに入力すればそれがDBに格納されていくいうもので、当時はASPという言い方をしていたと思います。 いまで考えればこれこそ"プラットフォーム"という概念だと思います。これであれば企業のHP毎の受注生産ではなく、どの企業もこの仕組みに入力をしてweb上で情報発信をして貰えばよくて(しかも出し先はマルチデバイス)、料金は使用料的に取れると言う事で、受注仕事からの脱却ができるのではないか?という作戦で臨む事になりました。ビジネスモデルというのは、要するにお金の取り方のパタンのその工夫、という事なんですよね。 これが97年末ぐらいの話です。まだ全員、大学在学中でした。 一方で順番は前後しますが、上記のようなマーケットの変化に基づく、自分たちの差別化戦略を探すために、97年の夏休みに1ヶ月間会社を休業して、シリコンバレーに行き、"モバイルインターネット"に出会う、という事が起きていました。 (明日以降につづく)

2023-04-06 07:31:19
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まっちゃ @matccha947

コンテンツの青学、技術の東大、技術イノベーションの慶應SFC、が正しい気がする 基礎技術・理論の開発と 基礎技術・理論の応用の研究は異なる twitter.com/dennotai/statu…

2023-04-06 10:41:29
川邊健太郎 @dennotai

はい、電脳隊の最盛期には期せずして、おっしゃる通りの役割分担になっていきますた。 その後、恐る恐る社会人の中途採用に踏み出していった展開です。 twitter.com/matccha947/sta…

2023-04-06 10:52:25
動画配信プラットフォーム ULIZA(ウリザ) @uliza_info

弊社PLAYの黒田社長がいる。(最初に見た時にどれが黒田さんか分かりませんでした) 明日のシリコンバレー編も楽しみです! twitter.com/dennotai/statu…

2023-04-06 12:53:53
川邊健太郎 @dennotai

明日どうか、分からんですよ、明日かどうかは。 まだ一文字も書いてないですよ。明日の分。。 黒田社長とは、仕事後、ナウルマンションでスパゲッティ作りながら、一緒にバイオハザードをやって恐怖に慄いていたのが、今ではよい思い出です! twitter.com/uliza_info/sta…

2023-04-06 13:00:24
まなびの達人|堀場英雄 #おうち英語 #複業家 #ミネルバ大院卒 @Hideo_Horiba

「自立とは、依存先が多いことだ」との名言がある まさにこれだと思った次第 twitter.com/dennotai/statu…

2023-04-06 16:36:23
川邊健太郎 @dennotai

すごく、いい言葉ですね! ちなみに、私は 「ポジショントークなしで話す奴は、社会人ではない」 という誰かの名言も大好きです。 twitter.com/Hideo_Horiba/s…

2023-04-06 18:30:58
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