FCロンダルキア古典説
こないだまつながさんが「古典は我慢してでも鑑賞すべきものと〔評価制度が〕認められたもの」と言っており、なるほどゲームもそうなるよね、ドラクエII(FC版)のロンダルキアとかね、という話をその場でした。
2023-04-13 00:12:04いま単に楽しむための経験としてFC版ロンダルキアに行く必要は全然ないんだけど、リメイク版以降のロンダルキアにはない質感があると強く主張したい人々が集まればFC版ロンダルキアは古典になるってわけ……。
2023-04-13 00:12:59@tricken 例に茶々入れるのは野暮ですが、ロンダルキアはペーシングとかレイアウトのパズルという概念が発明される以前のデザインの無法状態というか、御成敗式目以前の賞罰ルールに思えてならないすw「お前、いま武士に向かってニヤニヤしてたろ。だから死刑な」みたいな
2023-04-13 01:45:39@shigekisaito247 もちろん「ルプガナ以降はデベロップメントさえされてない」という言質もとれてるし、モダンデザインからしたら欠陥製品なんですけどね。
2023-04-13 01:55:19@tricken 「その当時のオーディエンスにどう受け入れられたか」まで変数に取って古典判定するってかんじ?
2023-04-13 02:10:37@shigekisaito247 受容論の厚みは結構重要ですね。ロンダルキア含むFC版DQ2は黒沢清と高橋源一郎がそれぞれ語ってたりするし。あと、DQ3と比べてクオリティが低いと判断し得たとしても、その判断を可能にする存在として意味があると思う。イメージとしては「人工的にできてしまったバックカントリースキー」みたいな感じ
2023-04-13 10:34:25@shigekisaito247 射程によるけど、一般的にはHL2じゃないですかね(なぜなら表現様式が生き残っているから)。DQ2は表現様式の継承という点では参照の必要がない。
2023-04-13 14:46:32@tricken 2点消失俯瞰ドット絵表現がリバイバルする可能性もゼロではない(ゆめにっき的な詩性が周期的に流行ることもありうる)ので、様式継承の有無を古典の重要性判定に取ってしまうのは俺の「古典=モーツァルト=不滅なるもの」図式に当てはまらないのでカウンターインチュイティブだ…
2023-04-13 15:20:35@shigekisaito247 なるほど、周期性。ピクセルアート的には確かにそうだけど、DQ2だけが保存している特性ではないという点で回答したのだった。DQ2ナラデハのドット絵表現ってある?
2023-04-13 16:40:55@tricken マクロに言ったら無いとおもいます。でもHL2にも無いと思う。ので、様式はどのみち古典判定から外してもよくなくなくない?みたいな感じ?
2023-04-13 16:50:59なるほどなるほど。確かに様式やジャンル的要素だけで言ったら、「何か代表的な作品」を名指すために有用とはいえ、「それを遊ぶべき」とまで主張するには弱いか。じゃあDQ2 (無印FC) のロンダルキアはまた別の観点から支持しないといけないかなあ。 twitter.com/shigekisaito24…
2023-04-13 17:30:05@tricken DQ2は市場が今ほど成熟していなかった黎明期にゲーマーがどんなチャレンジを好んで受容して体験として享受してたかの代表的な史料としては価値あると思うんですが、単に古いから古典と呼んでいいのかはちょっと分からんなと。
2023-04-13 19:24:00@shigekisaito247 この場合の(すくなくとも一月前に話している中で出てきた)「古典」は、古いかどうかというより、「ある価値体系に基づくならば、単に商業的・娯楽的な(つまり当世的な売れる売れない, 面白い面白くないの価値を離れて)評価できるし、鑑賞サセル正当性が0でない」ということでした。
2023-04-13 19:29:24@tricken わかりみ! そこって「面白い/くない」を<離れて>って考えでいくべきなのか、「面白さ」と「鑑賞態度」をニコイチにして、「お前は面白くないと思っているが、こういう鑑賞態度を取れば面白がれるだろ。だから古典認定」って考えとどっちが近いです?
2023-04-13 19:48:27@shigekisaito247 順に弁別すると、 (a) 短期的な慣習としてなんとなく共有されているように思われる、かっこつきの“面白さ” は実はそこまで多様な評価軸を許容しないし、よってそれを基盤として美的評価を論じがたい (b) よって (a) のような慣習に頼らない、極狭ながら明確な価値基準を置いて作品を評価する
2023-04-13 19:54:22@shigekisaito247 (c) (b) のような態度には「そもそも、面白い/面白くない という日常語ではなんの価値の議論もできんよね」という言語使用上の諦念がある。 (d) そのようなわけで、「特定の鑑賞態度を取れば“面白い”を発見できる」という出口戦略を取る必要がそもそもない。
2023-04-13 19:56:32@shigekisaito247 (e) よって回答は“面白い/くない”を離れる方、に、〔当時話し合っていた時の〕【古典】の軸足が置かれていたと思われる。
2023-04-13 19:58:31@shigekisaito247 (f) ただし、そのように “面白い/くない” 以外の言葉で論じた【古典】の語りの蓄積から、再度日常語としての“面白い/くない” のヌルっとした総合的判断の世界に戻ることを拒否するものではない。(その上で、【古典】を創出せんとする語り自体は常に“面白い/くない” 以外の言説戦略を採用する)
2023-04-13 19:59:17