ザ・ショー・マスト・ゴー・オン
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ちなみに、こういう「ごっこ」イズムとか「やったもん勝ち」主義は、若い世代特有のものではない。現今の情勢を見るに、権力や既得権を手にしている世代や階層こそがその中核なのは明らかでしょ。ルールがあるように見えても、ただの近代社会ごっこに過ぎない。なんでもねじまげる。それが東洋なのか。
2011-11-15 00:39:52篠田が降ろされたのが芸術上の事件なら、双方か、少なくともどちらかから説明があってしかるべきだ。単なる私的なトラブルならその限りではないが、こういう場合に「私的なトラブル」で話が終わると考えるのはやや無理筋ではないかな。
2011-11-15 00:32:04東洋という概念自体、西洋に対置されたものであって、そんなものに荷担しないのが、ニホン的というか、オタクカルチャー的というか、そういうことなんじゃないの。すべては「ごっこ」。「やっちゃえば勝ち」という考え方。篠田もそういう考えで勝手に何かしたら、ベルの逆鱗に触れたとか?
2011-11-15 00:26:40個人、作者の絶対性に立脚し、由緒正しさを最高度に尊重する、言わばオトナ的な西洋文明、っていうか西洋っぽさ。権威や体制に反抗するのでなく、それを遊ぶことによって身の置き所を見つけた気になる、コドモ的な東洋文明っていうか東洋っぽさ。いや、これを東洋と言ってはいけないのだろう。
2011-11-15 00:21:45やっぱり観たことある人に目がいきますよね。その人がいつもと違うことしてるというのが新鮮。 RT @y_cadeau: ジェローム・ベルについて補足しておくと、素人を舞台に上げたって言っても、実際には踊れる人が多い。作品のコンセプトと関係ないことはわかっても、そういう人たちを見て目
2011-11-15 00:19:47RT @NorikoshiTakao: 1)ジェローム・ベル『ショウ・マスト・ゴー・オン』。トークで言っていたとおり「何かを受け取りに行く作品」ではなく、「劇場という空間を考えるための作品」だ。出演者が素人なのも、技巧を受け取ることを求めているわけではないからだ。
2011-11-15 00:18:54ショウマストゴーオンはそこはかとなくユニクロくさい、ベネトンくさいと思う。何でかは大体分かる。
2011-11-15 00:15:49ベルは典型的な西洋人で、西洋文化の根源にある、作者の特権性、authenticityを疑うつもりはハナからないのだと思う。篠田千明がなんで降ろされたのかわからないが、もしかすると今の時代における東洋と西洋の衝突なのかとも思われ、きわめて感慨深い。
2011-11-15 00:15:43空の舞台からは、「そこにいない存在の差配」みたいな感じがして、反感というほどではないがやや抵抗があった。まあ「今さらそれか」とか、「それってKATHYの方が軽やかにやってるのでは」とかいうのも含まれていた。観客の一体感の醸成とかは思いもせず、だから大ウケしたのには驚いた。
2011-11-15 00:05:48「ザ・ショウ・マスト・ゴー・オン」では、舞台を空にして意味ありげに客席に明かりを当てるなど、かなりわかりやすい仕掛けがいろいろあったように思う。もっともそれをわかりやすいと思うのは、初演から今までの10年の間にあらかたのことがやり尽くされたからかもしれないが。
2011-11-15 00:01:17大ホールがあんなに素敵な劇場になるなんて!と思いました RT @NorikoshiTakao: 1)ジェローム・ベル『ショウ・マスト・ゴー・オン』。トークで言っていたとおり「何かを受け取りに行く作品」ではなく、「劇場という空間を考えるための作品」だ…
2011-11-14 23:50:05なるほど RT @NorikoshiTakao: 2)トークでは、素人を出して特別なことをさせないのは、客席と舞台上を均一化するためで、以前はカンパニー制を取っていたが韓国公演で「舞台上が白人 客席が東洋人」というのは失敗だったと反省し、以後は現地の人々を使うことにしたという。
2011-11-14 23:46:52談話室更新。先週末土曜に観た Jérôme Bel: The Show Must Go On @ 彩の国さいたま芸術劇場 の話。http://t.co/lHUwHDl0
2011-11-14 23:38:139)しかし横で聞いていた人は「きっとベルは、以前からの自分の考えみたいに他所で話すと思うよw」と笑った。ま、いいんじゃね(笑)。
2011-11-14 23:32:488)サウンドオブサイレンスでジッと聞いていたのは東京とNYとブリュッセルの客だけ、というのは本当だそう。オレは芭蕉の「古池や」を例に出して、「日本人は沈黙に親しみがある。小さな音によってかえって沈黙を認識する。それは今日あなたがやっていたことだね」というと、非常に喜んでいた。
2011-11-14 23:32:107)「パリの初演の時は観客が半分帰ったそうじゃん」とベルに聞くと「そうそう。1年後に再演したら、また半分帰ったよ。はっはっは」と笑っていた。ベタで上等、オシャレ野郎なんぞクソ喰らえという腰の据わり方。しそれが世界50都市で上演され続けている。
2011-11-14 23:31:396)トークでは冗談めかしていたが、レセプションで話した時、ベルは観客が舞台に上って踊り出したり、サウンドオブサイレンスで合唱が始まるのを心底嫌っていた。開かれた舞台に見え、かつ一体感を醸成しつつも、演出家が全てをコントロールしたいという相反する舞台。
2011-11-14 23:31:165)だがそれが作品に強靱さを生んでいる。「素人の身体が一所懸命動いて面白い」とかいう屁みたいな面白さではなく、これは観客と演者を物理的に一体化させて、「最終的に自分の演出の世界に取り込んで行く作品」だ。
2011-11-14 23:31:014)だから半分近く舞台上に誰もいなかったりする。「ダンス」などはない。見た目のベタさや愛らしさと裏腹に、相当にイケズな作品なのだ。でもフランス人ってそういうもんだし。ヤツらの笑顔くらい信用できない物はない。
2011-11-14 23:30:383)「(素人風の)面白い動きを見せること」がメインならば演者が白人でも構わないはずだ。ここからも「大事なのは動きよりも、舞台と客席の均一化・一体化」だとわかる。しかも(以前書いたが)演出家でありフランス人たるベルは、そこに自分も寄り添う気持ちはさらさらないというあたりが植民地的。
2011-11-14 23:30:162)トークでは、素人を出して特別なことをさせないのは、客席と舞台上を均一化するためで、以前はカンパニー制を取っていたが韓国公演で「舞台上が白人 客席が東洋人」というのは失敗だったと反省し、以後は現地の人々を使うことにしたという。
2011-11-14 23:29:041)ジェローム・ベル『ショウ・マスト・ゴー・オン』。トークで言っていたとおり「何かを受け取りに行く作品」ではなく、「劇場という空間を考えるための作品」だ。出演者が素人なのも、技巧を受け取ることを求めているわけではないからだ。
2011-11-14 23:28:34先週末に見たジェローム・ベルの「THE SHOW MUST GO ON」おもしろかった。舞台上から舞台下、客席、とだんだん観客が意識するスペースを広げてくのよかった。あとやっぱりダンサーの身体じゃないひとがぐんぐん踊ってんの好き。私も踊りたい。
2011-11-14 23:09:51F/T閉幕。自分的ベストは観た順に「宮澤賢治/夢の島から」「ノーション:ダンス・フィクション」「ザ・ショー・マスト・ゴー・オン」。順序は付けられない。ジェローム・ベルは最初は観る気なかったのだが、「ノーション…」のチョイ・カファイが「好き」と言っていたので観る気になった。→
2011-11-14 23:02:12