上野千鶴子氏と古市憲寿氏の対談を聞いて思ったこと

「新進気鋭の若手社会学者」古市憲寿の言う「社会からの承認」とは「ぬるま湯の中での承認」である。
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@absalon411
上野千鶴子氏と古市憲寿氏の対談を聞いて思ったこと。私、社会学苦手…。実は大学でフェミに片足を突っ込んだことがある(2年次で女帝についての論文書いた)。でも辞めた理由は社会学って「アホ」のことまで気にしなきゃならないんだ、そりゃつらすぎると思ったから。
@absalon411
自分や、自分と同じような問題意識を持つ女性の地位が向上することはたいへん、望ましい。でも、自分とまったく違うおバカな主婦とか、現状に全く不安を抱かない、社会に対して疑問を持たない女性たちは「勝手に生きてくれればいい」と思った。自分勝手だけど、それでいいと思った。
@absalon411
自分が泥沼から出たいと思ってフェミを学び始めたのに、このままでは泥沼に一生使ったまま辛い現実に向き合っていかなければならないんだとしたら、フェミは嫌だなあと思った。今回の対談では「社会学はアホを対象にしなくてはならない」ことを再び思い出させてくれたのだ。
@absalon411
その点では、社会学者って偉いと思う。上野氏が古市氏に繰り返し言ったこと「あなたは頼まれてもいないのに若者を論じてしまった。その責任をどう考えているの?」に対して古市氏がすぐに答えられなかったということは、本当に残念。彼はこういうことを考えたことがないんだろう。
@absalon411
その質問に即答する覚悟のない人間が、気鋭の学者と呼ばれるんだなあ。ただし、これもキャラとしてちゃんと経済的に成り立っているんだから、これも「てらいのない正直でみんなの隣にいる身近な学者さん」ということで、いいのだろうと思う。
@absalon411
いや、フリだけで、本当は考えていてバカなふりをしているのかも。そうだと信じたい。いわゆる「弱者」と向き合うことは決して楽しいことじゃない。私は逃げたクチだからそれがよく分かる。ジョン・レノンだって障害者からは逃げたことを告白しているし茂木健一郎氏だって同じような論者であると思う。
@absalon411
バカ(ちゃんと定義もせずバカと使っていますが決して差別的な意味で使っているのではありません)の群れに向き合うには、相当の覚悟が必要なのだ。古市氏の言う「日本に興味はないけどカンボジアに学校は建てたがる若者」もきっとその覚悟は持っていないのだろうなあ。
@absalon411
私は闘ったよ、という上野発言に対して古市氏は「はあ」と答えていたが、それでいいのか。私は上野氏の言論のすべてに同調するわけではない。間違ってるんじゃないかと思うところもある。しかし意見と「生き方」や「立ち位置」は別のことだ。
@absalon411
小林多喜二の小説はつまらない。しかし多喜二の価値がどこにあったのか、それを明らかにしたのがノーマ・フィールドだった。「世界をどう見るか」「この人が人生で何を一番大切にして生きているか」に関わるところで人を評価しないと、アル中死ねとか言う人間が出てくる。
@absalon411
さて、古市氏は「新進気鋭の若手社会学者」。カルスタが出てきたくらいまでは新進社会学者はまだ面白いところがあったと思う。しかし「新進気鋭」と言われた鈴木謙介氏あたりからどうも社会学者は道を誤った。「つながり」ということを言い始めたときからおかしくなったと思っている。
@absalon411
古市憲寿氏もピースボートでのフィールドワークなどから「社会からの承認」があれば若者は生きていけると論じている。承認ってつながりと同じことだ。しかしつながりとはコミュニケーションとも言えるとすると、なるほどと思ってしまうが、じつは彼らの言うつながりや承認ってとんでもない代物なのだ。
@absalon411
私は自分の若い頃も、現在まで、承認を求めてきた。誰よりもその承認欲求は強かったと思う。バカだらけの田舎から抜け出して、偉い人たちに認められたい。世に認められる仕事がしたい。それは「自分とは違う価値観を持った吹きさらしの世界の中で承認されたい」だった。
@absalon411
それは「自分より優れた人たちから承認されたい」だったし、「前提条件のない社会に侵入したときにその社会の人たちから承認されたい」でもあった。前者の問題意識からは一生懸命勉強したり仕事したりしているし、後者の欲求からは海外に出て外国人の友人を作ってみたいと思い留学した。
@absalon411
その世界では、つながるためには「誰にも頼れない」。親元から離れる。これは最低限の条件。親の庇護とは親から受ける呪縛のことである。それから勉強。これは徹底的に孤独な作業だ。外国でも頼れない。自分の意見を認めてもらうためには片言でも何でも主張しなくては承認されない。
@absalon411
著者と話すためには、それなりの意見を持っていなければならない。新人の頃はバカにされる恐怖で何度仕事を辞めたい、もう死にたいと思ったことだろう。それでも承認された時の悦びはものすごい快感だ。努力して、人と違うところを発揮して、初めて承認される。
@absalon411
しかし鈴木謙介氏や古市憲寿氏が言う「つながり」や「承認」とは、「ぬるま湯の中での承認」である。何も努力しない。外には出ない。同じ価値観の人の中で承認されていればそれでよい。バカやアホはそうやって生きればいいのだろうか。そこに寄り添うだけで本当にいいのだろうか。
@absalon411
そのような若者の在り方を「分析」することに何の意味があるんだろう?と感じたことが、先に書いた「社会学は苦手」という感想に行きついている。私が表現したり人の表現することから影響を受けたりする世界では、まったく承認やつながりは甘いものではないから。
@absalon411
「あなたは頭がよくて、勉強ができて、就職もできたからそう言うけれど、世の中の大部分の若者はそうじゃない。彼らの気持ちのことなんて分からない」と反論される。バカのことに目を向けよ、と。もしそれが社会学なのだとしたら、私はノーサンキューであるし、実際そうした。
@absalon411
しかし古市氏の社会学と上野氏の社会学は同じじゃないと思う。だって古市氏は「バカを背負う覚悟がない」らしいから。みんな一緒に楽に生きる社会がいいらしいから。闘う気がないのだから。社会学はそれでも偉い、と思っていた私はどうすればいいのだろう。
@absalon411
古市氏は自分のことを左翼だと思っているらしい。そしてこれまでの左翼は権力を志向してこなかったことが誤りだったと思うと明言していた(それに対して上野千鶴子氏は全否定!)。左翼の定義とはいろいろ出来ると思うが、私は「個を志向するのが左翼」だと思っている。
@absalon411
右翼とは、全体を志向する人たちのことである。自分たちの拠って立つ大きなものを求め、あがめ、そこでは「個」は矮小化される。左翼とは大きなものを必要とせず、あくまで「個」の尊厳を保障しようとする人たちのことである。しかし古市氏は個を志向することをまったくしていない。
@absalon411
つながった個、それも同じ大きさの個どうしがつながった個とは、個とは言わない。それは全体である。私がつながろうとした個は、すべて自分より大きな「個」であった。つながりたい、少しでも近付きたい、そういう個とつながるためには「個」は独立せざるを得ない。
@absalon411
個があってはじめてつながる、それを認めて社会を作ろうとするのが左翼である。左翼が権力につくのが不自然だというのはやはり間違いで、権力の座にある左翼は、国家などの大きなものではなく、「個」のために政治を行うはずである。
@absalon411
しかしこれも上野氏がしつこく注意していたことだが「自分たち」「みんな」という言い方を古市氏がしているのは誤りだということ。彼と同じ26歳くらいの若者を知っているが、皆が皆そういう承認欲求で生きているわけではない。ただ気になることはいくつかある。
@absalon411
最近の会社の若い人を見ていると、「いいオヤジ」と「悪いオヤジ」が見分けられないということだ。会社の中にはどんなに腐っていても「いいオヤジ」が一定数いて、この人なら自分に好き嫌いだけで意地悪しない、とか、周りの人間に対してフェアであるといった人がいる。
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