吉岡ライブラリー/セミナー 「建築家」という構造的問題
- makawakami
- 3990
- 0
- 0
- 1
「造家」ということばから「建築」ということばに改名された経緯と伊東忠太 (live at http://t.co/s6LxrGmk)
2011-12-07 18:39:50伊東忠太。アーキテクチュールの本義を論して〜1894.これにより造家学会は建築学会に名称変更。西洋の認識に即して、建築を考える。工学的な術との関係を捉え直す
2011-12-07 18:40:51構造派の出現 辰野1914学会講演会で美術と並行両立しがたい科目として構造学をあげる。一つの学校で、美術側と工学側をわけて教えたらという提案。その翌年から帝大で実現 ただ辰野はいわゆる構造派にだけ肩入れしてない
2011-12-07 18:45:05天内:2つめの「構造派」の話にうつります。B.「構造派」の出現 1.「美術」と「科学」の峻別 (辰野金吾と岡田信一郎) (live at http://t.co/s6LxrGmk)
2011-12-07 18:45:14佐野1900年入学。形の良し悪し色彩は婦女子のすることとがっかりする。が、辰野にうながされ耐震に目覚める。彼の研究活動自体が西洋の建築を相対化する視点があった。震災予防調査会の設立。
2011-12-07 18:48:31天内さんが今話されているあたりの話は中谷礼仁さんの「明治・国学・建築家」も併せて読むといいですね。絶版が放流されているのか...。 http://t.co/LTY1cRUD 修論書いてるときに影響されすぎましたw #fb (live at ustre.am/FwgJ)
2011-12-07 18:50:22ベルリンについて建築家の覚悟を投稿。日本の建築家は西洋と違う。今日の事情によって定まらねばならない。みな美術家ではならなくなった。列強の軍備の足元に及ばない。「臥薪嘗胆の時期」 いかに建築を最も安く作れるか。
2011-12-07 18:50:48野田俊彦 鉄筋コンクリートと建築様式という卒論を内田祥三に建築非芸術論とタイトルを変えられ、雑誌に投稿される。本人の意図を超え建築は芸術ではないという主張を根拠付けるもの、とされてしまった。
2011-12-07 18:52:58@hkohno_abbr: 「形の善し悪しとか色彩のことなどは帰女子のすることで、男子の口にすべきことではない」(『佐野博士追想録』1957)のことばですね (live at http://t.co/s6LxrGmk)
2011-12-07 18:54:22B.「構造派」の出現 3.設計初心者の悩み−野田俊彦 「鉄筋コンクリートと建築様式」→「建築非芸術論」 (live at http://t.co/s6LxrGmk)
2011-12-07 18:56:00大正生命主義 参考:長谷川堯。 野田の議論に反論したのは後藤。建築を拡張させたいなら自己の充実。後藤は分離派にさきだつ議論をしていた
2011-12-07 18:59:47C.大正生命主義/人格主義 1.「自己」「人格」− 後藤慶二と白樺派 「自然の要求と我々個人の要求との間」※スライドの文章訂正 (live at http://t.co/s6LxrGmk)
2011-12-07 19:00:24C.大正生命主義/人格主義 2.「生命」− 堀口捨ミと白樺派 (live at http://t.co/s6LxrGmk)
2011-12-07 19:03:15天内:「構造」「芸術」の水掛け論には定義のちがいがあった訳ですが.. (live at http://t.co/s6LxrGmk)
2011-12-07 19:07:33