@kumikokatase @chronekotei @kikumaco そうですね。避けられないからこそ丁寧に行おうと思うし、なるべく相手に配慮した形で行おうと思う。そういうことです。あと、個人的には深く傷つけてきた相手の話を深く聞くことって心情的に難しいです。
2011-11-20 02:15:44@chronekotei 毎回言ってることだけど、何かを批判するということはどれだけ丁寧に優しく行っても相手にとっては叩かれてるのと同じことかもしれない、という認識は持っておくべきだと思う。それを認識してなお伝えたいことがあるから「ニセ科学批判」を行ってるのでしょう?
2011-11-20 02:04:43@chronekotei ぼくはある意味「ニセ科学批判」からリタイアした人間なんで…。批判をしないわけではなくて「ニセ科学」という言葉を使わないと決めただけなんですけどね。
2011-11-20 02:13:49@chronekotei 言っても言わなくても相手が傷付いてしまうのなら、傷が浅い方を選択するかもね。たとえそのことによって自分が傷ついても。ただ、相手を救うことに酔ってもいけないのだと。目的で手段は正当化されない。そのへんの線引きはそれぞれの論者で違いそうですが。
2011-11-20 02:17:44@muimi それは或る種量的な観点を考慮することだと思うので、それでいいと思うよ。わざわざ相手が受け容れにくい形で言って、良薬や口に苦いのだからどれだけ苦くても飲むのが当たり前だ、みたいな理屈はおかしいからね。
2011-11-20 02:20:33@muimi @chronekotei 言葉を使うかどうかは、問題にどうセンシティブに向き合うかということですから大事なことじゃないでしょうか。
2011-11-20 02:17:10@usg_ringo @chronekotei ぼくはそう思っています。「ビリーバー」という言葉も個人的には使わないようにしていますし、文章の添削や感想を頼まれたら「この言葉はできれば使わないでほしい」って伝えることもあります。
2011-11-20 02:19:16@kumikokatase @chronekotei @muimi @kikumaco それは裾野が広いからでしょう。ただ切り捨てるだけでは問題が解決しないし、場合によっては拗れる。でも誰かが言わなければならなかったことは変わらないと思います。
2011-11-20 02:22:15さっきオレは片瀬さんにわかりやすいように片瀬さんが痍附く話をしたが、菊池さんはそれを相手が痍附く話だと訂正した。そう謂う問題なんだよね。
2011-11-20 02:09:41客観的に謂えば同じことが起こるわけで、他者を痍附けるから痍附けられた他者に痍附けられる。しかし、その際に視点をどこに置くかと謂うのは、他者を痍附ける言論を行う場合には重要なことだ。
2011-11-20 02:11:38Twitterを始めたことで、以前よりは不特定多数に情報を提供している…目が痛いと違う理由で読むのが辛いと言われてるけどね。だからポンッと情報と、それについて"あっち"と指さすぐらいに止めるようにとは思ってる。
2011-11-20 02:00:20私が自分のことを「ニセ科学批判者」じゃないと言うのは、「科学」の部分を批判しているわけでは無いからですよ。
2011-11-20 02:07:37倫理的な正しさに確信があるわけでは無いです。なので「正しさ」を尺度に判断するわけではありません。脳裏に肉体的・精神的に傷ついている子供の像が鮮明に浮かぶ間は覚悟しているだけです。
2011-11-20 02:15:51ちょっと違うだろうけど「トンデモ」と言う言葉は問題を不透明にすると思っているので、私はなるべく使わない…通じることを一義に思う時は使うかも。
2011-11-20 02:19:07本当に血も涙もなくやるなら、野尻黒猫先生やapjさんのように「痍附けるか否か」逆に言えば「痍附くか否か」と謂う評価軸からは完全にフリーでなければならない。
2011-11-20 03:05:38オレは割と、人の気持ちとは無関係に存在する実在があるからこそ人の気持ちに意味があるのだと思うから、人の気持ちとは無関係な現実を識りたいと思うし、それは人の前に突き附けられるべきだと考えている。
2011-11-20 03:09:44とくに原発問題なんてのは、これまで人の気持ちの文脈でしか論じられてこなかったからこそこう謂う事態に至ったのだと思うから、人の気持ちなんか完全に無視して血も涙もなく現実を突き附けるべきなのだと思うし、その現実を踏まえた上でなければ結論なんか出せない問題だと思っている。
2011-11-20 03:11:25